日本的経営とは(5)

《中堅層が若手と高年層を支える》

 このような日本的な年功賃金は、それぞれの時期を切り出してみると必ずしも貢献と報酬が一致していないが、入社後定年までという社員生活全体を通してみると帳尻が合うように設定されている。働き盛りの時期に生産性よりも賃金を低く抑えているということは、強制的に社内預金させることによって個人の熟練技術や企業独自のノウハウを持ち出されないようにしているという意味もある。

 また、社員が不正や怠慢によって解雇されるような場合があったり、企業が倒産するといったような場合には、預金を返してもらえなくなってしまうため、後払いにすることで企業と社員との長期的利害の一致を図り、社員の帰属意識を高める仕組みが賃金体系の中に組み込まれていたということができる。このような賃金体系を企業内の人員構成と関係づけて考えると、ある時点での企業の賃金総額をどのように配分しているかを理解することができる。

 つまり、中堅層の貢献によってもたらされる余剰分を、若年層への先行投資と高年層への後払いで分配するという世代間での所得の再配分を行っていることになる。高度経済成長期においては企業の人口構成上でも中堅層が多く、高年層へ手厚く配分するための原資を十分に稼いでくれる構造になっていた。しかし、高度経済成長期が終わり、人口の高齢化が進展するにつれて賃金の原資を稼ぎだす中堅層が減少し、企業への社内預金分を引き出す高年層が増大すると、上記のような世代間の所得再配分を維持していくことが難しくなる。

 近年、日本企業の多くが年功賃金を見直す必要性に迫られている背景の一つには、このような人口構構造の変化に起因する問題がある。高度経済成長期においては、規模拡大を目指す経営戦略と整合していた年功制も、オイルショック以降の経済成長の鈍化や人口の高齢化、技術革新という経済環境の変化に伴って様々な修正が加えられてきた。次にその内容を見てみよう。 

《オイルショック以降の年功制の修正》

 オイルショック以降の年功制の修正内容は以下の4点(「能力主義の導入」「職能資格制度の導入」「複線型人事制度の導入」「専門職制度の導入」)にまとめられる。

 1)能力主義の導入

 1970年代後半以降、市場環境が成熟し企業の成長も頭打ちになってくると、中高年の人材が付くべきポストが不足するようになり、勤続年数に伴う昇進・昇格のスピードは鈍化せざるを得なくなった。また、日本の人口の高齢化が進み、若年労働力が相対的に減少することになり、ピラミッド型の組織を維持することが難しくなり、加えて技術革新の進展により、若手労働者の方が新技術への適応能力が高いという逆転現象もみられた。

 このような状況から年齢や勤務年数という年功原理だけで人事制度を維持していくことが難しくなり、年功原理の修正が図られてきた。その代表的な取り組みが能力主義の導入である。能力主義を導入することによって社員間の競争を促し、選別を強化するものである。ただし、能力主義とはいえ若いうちは差が出ないようにして長期間にわたって全員を切磋琢磨していくことを重視しており、年功的な面も残した能力主義となっていた。