日本的経営とは(3)

《年功制が日本企業に定着した経緯》

 それでは、年功制はいかにして日本企業に定着していったかを見てみよう。第2次世界大戦以前の日本企業では、企業内でも強烈な身分制度があった。鉄鋼や紡績、石炭といった当時の花形産業の一流企業に入社したエリート社員は、2~3年目には100人単位の部下を持つ管理職に出世する一方で、現場の労働者は会社の出入り口も別で、賃金も月給制ではなく時給制であるという風に、身分による差が明確に定められていた。

 このような前近代的な身分や差別は戦後の労働運動の要求によって撤廃され、従来の身分制度は資格制度と名前を変え、学歴や年功という客観的な基準を反映させる内容に変化してきた。また、戦後の学校制度改革によって高校や大学への進学率が向上したことや、高度工業化が進展する中で若年労働者が不足したことも影響していると言えるだろう。日本の大企業では労働力不足を補うために、新規学卒者を一括採用し、独身寮や社宅の整備、福利厚生の充実等の対応を行い、採用した若手社員の定着と長期継続雇用を推進した。

 このような慣行を維持・発展させていくために、新規学卒採用者を社内の人的資源の中心としてとらえ、彼らの能力を長期的に育成しながら、次第に責任ある仕事につけていくという人材の活用方法を作り上げていったのである。このような年功的な序列による管理は日本企業のみに特徴的なものというわけではないが、賃金や地位の年齢的な逆転をさけようという人事方針があるところに日本企業の特徴がある。

 これらの三種の神器のうち、最も大きな影響を与えたのは年功制である。年功制についてもう少し詳しく見てみよう。高度経済成長期における日本企業にとっては、長期雇用を前提としたため年功制は合理的であり、特に規模的な成長を目的とする経営戦略に合致していた。その理由は、以下の3点に集約される。それは「企業の人員構成に合致」「社員のコミットメントやモチベーションの向上」「企業組織内での熟練の形成や技術の蓄積」である。 

1)企業の人員構成に合致

 急速に進展する経済成長の下、若年労働力を大量に採用することによって、日本企業は成長・拡大を実現してきた。その結果、日本企業の人口構成は下方が拡大するビラミッド型の構造となり、少数のベテラン管理職の下に多数の若手一般社員がいるという構造を維持することができた。そのため、年功的秩序に基づいた指揮命令系統がスムーズに機能し、効率的な組織運営を実現することができたのである。 

2)社員のコミットメントやモチベーションの向上

 年功制の人事システムの下では、人並みに努力すれば勤続年数を重ねるうちに昇進・昇格することができる。企業組織において、昇進・昇格の機会は企業の成長発展に伴って増えていく。このような状況下で、企業組織の成長を通じて昇進・昇格していくことは、職業生活上実現可能な目標として社員の間で広く共有された。これが、社員の会社への帰属意識(コミットメント)と仕事への意欲(モチベーション)の喚起に役立った。企業の成長と社員個人の経済的・能力的成長とが連動するとの期待から、社員は迷うことなく自分の仕事に多くの力を投入することができたのである。 

3)企業組織内での熟練の形成や技術の蓄積

 もし雇用が不安定で社員の出入りが激しいと、社員個人が熟練や技術を確立するだけの経験を積むことができず、技術やノウハウの承継も行われない。安定した長期雇用の下でのOJTやジョブ・ローテーションがあってこそ、社内のノウハウの蓄積が行われ、社員個人の中で形成された技術が組織に移転し、蓄積されていく。勤続年数や年齢が社員個人の熟練度を示す指標となり、これを基準に社員の職位や資格を定めていく年功制は、技術やノウハウの組織的蓄積を促す上でも合理的なものだったのである。