どちらが偉いかではなく、どちらが自分らしいかが問題

 

 世の中は大いなる勘違いで成り立っている。私たちが何らかの行動を起こすのには、それなりの目的があり、その志いしは純粋であったとしても、その達成に向けて動き出した途端に大なり小なり矛盾に遭遇する宿命にある。しかし、そこでたじろいでは目的達成など到底無理なので、他人の力を借りることになる。その時点でもかなり目的は形を変えてしまっているはずだが、それを解決するどころか、そのまま呑み込んだまま組織的行動に移る。

 組織とは、複数の人が集まり、大同団結することで対面をたもつという側面があるため、場合によっては手段が目的と化す場合もあり、組織を動かす中核人物の価値観によって運営方針や選択される戦略も多きく変化していく。こうして、初心は飴のようにねじ曲がり、いつしか、命令系統だけが際立って先鋭化し、職務に配布された責任と権限があたかも人間の偉さであるという組織に染まり切ってしまう。

 人間の考える正義などというものは、その人の立ち位置によって変わるものであるから、自分が考えている精錬潔白な行動も、違った立場の人から見れば、必ずしも正義ではないことを思い知らされる。子供のころに訪れる反抗期などはその典型的なものであろうが、名実ともに大人になりつつあるときも、オヤジと考えが合わないなどといって、家を飛び出すなども似ている現象であり、誰もが経験することである。

 ある有名な哲学者の言葉だった記憶しているが、「正義というものは、それを考えているときにのみ正義なのであって、行動に移してしまえば正義ではなくなる」という意味のことを言っていた。つまり、「正義とはこういうことだ」と頭で考えているときは純粋に正義であるといえるが、それに基づき行動に移すと、必ず反対ののろしが上がる。これは当然のことであると得心できるようになるにはかなり時間がかかるものである。

 例えば、人の命は何にもまして大切なものであるというのは異論がある人はそうはいないだろう。そうした意味では医者が尊敬される職業であることは納得できる。ところが、医者が人の命を守るために、奔走し寿命がのびる薬を開発したとしよう。そうすると人口の自然減少が減り、食料不足が大きな問題になってくる。すなわち、人の命を救うという崇高で正義感にあふれる行動をとったはずの医者は、余計なことをしたと恨まれるかもしれない。

 転職や起業を考え始めた皆さんは、色々なインセンティブによって、方針転換を決心するわけですが、その中には、人間関係が嫌で今の会社を離れたいと考えている人も多いことでしょう。特に上司のパワハラには耐えられないと思っている人も多いはずです。そういう人たちに、声を大にして申し上げます。上司と部下の関係は、決して人間の「偉さ」を尺度にした上下の関係ではありません。でもそれは声に出して言えませんよね。

 だが、その嫌な気持ちを、自分への戒めとして活用すれば、あなたが起業して築き上げようとしている会社は風通しのよい組織になることでしょう。このようにして人は学習しながら、自分の城を作っていくのです。そうでないと、あなたの会社の社員も、社長であるあなたを同じように感じてしまうかもしれません。とかく物事は理想通りには行かないものです。だからこそ、あなたの魅力を全面に出してアピールすることが大切なのです。