一歩踏み出すことの意義

 

 仕事に限らず、テストやスポーツの試合に挑む場合でも、あんなに準備をしてきたのに、いざ本番というときに、緊張しすぎて硬くなりもっている力が全く出せず、失敗してしまったという経験はありませんか。もしかすると大恥をかいてしまったということもあるかもしれません。しかし、その時は二度とこんなことをしたくないと思う反面、次は負けないぞ! という反発力も芽生えてくるものです。

 この気持ちが湧いてくることが、挑戦して敗れたことに対するご褒美なのです。なぜそれがご褒美なんだ? あんな恥はかきたくないから、分不相応なことはしないことにすると心に決めますか? あまりにショックが大きい時はそう思うこともあるかもしれません。でも、よく考えてみてください。どんな勝負でも、最後に勝ち残るのはたった一人ですよね。だとすると、臥薪嘗胆で準備をしてきた人たちもほとんどが悔しい思いをしているはずです。

 そういう人たちはなぜ何回も挑戦し続けるのでしょうか。それは、苦しい中でも楽しみを見つけるからです。つまり、人間は本質的にはいつも上の景色を見たいと思い始めると、苦労を苦労とは思わず、それを力に変えられる動機が生まれるということでしょう。人は動機がなければ動きません。例えば、お腹がすかなければ、食事をするためにレストランに行こうとは思わないでしょう。この動機こそが自分を動かす司令塔なのです。

 一歩踏み出すというのは、負ける訓練をするという意味ではありません。今度は勝ちたいという強い動機を呼び起こすためのものです。そうはいっても、生まれつき自分は臆病ものだと思い込んで積極的に行動しない人から、何も考えずに冷水に飛び込んでしまう人まで、色々なタイプの人がいます。ですから、その人の性格によって一歩踏み出すことの難しさも一様ではないかもしれないので、準備段階では、多少の工夫は必要かもしれません。

 しかし、あなたは現在、自分のおかれている環境に疑問を持ち始めているわけですから、すでに一歩踏み出したいという動機が芽生えているはずです。ここで私が呼びかけているのは、そういう人たちの背中をほんの少し押してあげられないかと考えているからです。負けたくないから戦わないという人は、いわば不戦敗です。これは一勝一敗とはまったく評価が異なるというのが世の中のルールです。

 不戦敗は勝率0%ですが、一勝一敗は勝率が50%ですから、見える景色が全く違うものになり、次に進むための動機づけのレベルに雲泥の差が生じます。ですから、自分は臆病だと思う人や準備不足だと思い込んでいる人は、まず、ほんの少し歩み出すということから始めても、何もしないよりはましです。一歩進んだ先にでは必ず、何らかのご褒美が得られるはずです。それは、お菓子や賞金ではなく、自分を奮い立たせる動機づけ因子です。

 あなたが今の職場環境に不満をもっているか、あるいは体質的に合わないと思っているとすれば、この動機づけ因子がパワーアップしている最中でもあるはずです。そのエネルギーが衰えないうちに行動を起こすべきではないでしょうか。そうすれば、自分がどのような戦略環境にいて、どんな行動をとるべきかもより一層見えてきます。それがさらに一歩前に出る動機となり、精度の高い戦略を練る力になると考えられるからです。