充実感のある疲れはここちよいもの

 

 高級官僚や大企業に勤めるエリート社員などは、傍目にはまぶしく羨ましい限りである。しかし、当の本人たちはどれほど充実した日常を過ごしているのだろうか。国会答弁で詰問され、本心を吐露することもできず、脂汗を流している姿を見かけると、一般人が思っているほど幸せな人生を歩んでいるようには見えないこともある。一方、従業員数人の中小企業でも、自分のやりたい仕事に没頭し、ほこりにまみれていても充実している人もいる。

 だいぶ古い話で恐縮ですが、バブルの時代に3K(きつい、汚い、危険)などと揶揄され、毛嫌いされた職種があった。就活中の若い人には耳障りで、実態はともかく、学校の先生までが、3K企業だからやめた方がいいなどと不謹慎なことを言い出す始末で、この種の仕事が好きだという学生も希望を変更するという傾向が見られた。では、これらの業種でその時働いていた人はどんな気持ちだったのかというと、意外なものであった。

 世間の人は3kなどといって自分の仕事を嫌っているが、自分が作っている製品が「美味しい」「使い勝手がいい」などと褒められると、すべての苦労が報いられ、3Kなど自分には関係ないと胸を張って言っていた。もちろん、こうした仕事は今も存在しているからこそ、私たちの生活が成り立っているわけである。人にはみな夫々個性というものがあり、好きか嫌いかは人によって違うからバランスが保たれているのである。

 ですから、ここで強調したいのは、「他人がどう思うかではなく」、「自分が好きだから」ということを基準にして考えることの重要性を認識していただきたいということです。もちろんそれは、他人に迷惑をかけるような行為ということではないのは当然です。自分がやりたい仕事とは、個性を反映したものであるはずですから、しがらみに縛られることなく、自分らしい生き方を見つけることに焦点を絞るべきです。

 大企業に勤めるある営業マンが話しているのを聞いたことがある。その内容は、「営業部長の年初の訓示で、本年は○○商品を△△ケース販売する計画であり、必ず達成するように! というものだったそうです」。会議が終了し解散したとき、その営業マンは、今年はどのような理由で売れなかったか、もっともらしい言い訳を考えなければ! と呟いたそうです。通常であれば、どうやって目標を達成するかを考えるべきなのでしょうが。

 上記の例のように、よらば大樹の陰といわんばかりに、目標を達成できなかった大義名分を考えることに知恵を働かせ、肝心の営業努力は後回しどころか、まったく考えず、他の営業マンの努力にオンブしようとする姿勢は見苦しいとか、卑怯だというレベルを超えて、人生そのものを捨ててしまっている。こんなことで体をかわす術だけを磨く人生は、楽なように思う人もあるかもしれないが、充実感などは全く得られないでしょう。

 異論があることを恐れず言いうと、「自分の苦労が報いられるからこそ、充実感が得られる」のであって、その逆ではない。自分の個性は独自能力によって形づけられて行くものであるから、その個性を全面に出し、他人にその価値を評価してもらったとき、人は最も充実した気分になるものである。そのためにはまず、自分の個性を受け入れてくれる世界を見つけことであり、嫌いな人に好きになってもらうことではない。