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 人は何のために生まれてきたのか? この問いに対して、一元的に答えるのは極めて難しいでしょう。答えを求められた人によっては、人には生まれながらにして使命を背負っているという考え方を軸として答える人もあれば、楽しく生きるために生まれてきたと答える人がいてもおかしくない。でも、どちらの意見にも共通する考え方がある。それは個人の尊厳を重視することに支えられた「幸せになるため」という根源的な意味である。すなわち、人は誰でも、幸せを犠牲にしてまで、守るものはないということです。

 こういう議論になると、必ず出てくる反論は、子供の幸せを守るために親が犠牲になるのは当然で、自分の幸せを何よりも重視するのは間違いであるというものだ。しかし、見方を変えれば、親が子供のために犠牲になること自体、親の幸せに繋がっているとも考えられるという反論も出てくる。このように議論が沸騰してくると、もはや水かけ論に等しくなり、結局結論は見いだせず、場合によっては気まずささえ残ることがあるため、滅多にこうした議論を人に振る風景はみかけなくなったようです。

しかし、その議論は一種のタブーであると同時に、敢えてこうした議論に決着をつけること自体を避けることが懸命であることを学習しているからではないでしょうか。つまり、それこそが個人の生き方や人生観といったものは、自己主張により相手を論破することで定義が確立するものでないことをよく知っているからです。人々の心の中の共通性を表現すると、他人には入り込んでもらいたくない自分の城のようなものがあり、その中には葛藤あり、我がままありで、他人の干渉を嫌う自分を愛おしいと思っているからにほかならない。

こうした千差万別の価値観を持った人たちが、あること(目の前の自分の利得)については、共通する人々と手を組み、一つの集団として有利な形を形成するが、別のことでは、平気で敵対的な関係になる選択をする。ビジネスでいう市場という存在も、そうした不安定で不透明(異質性)で、しかも不確実なものであるということを頭に入れておかなければならない。しかし、元々はこうした市場の性質を活用することで企業が存続してきたという歴史がある。この特徴をITの力を借りて一元化しようとしている。

しかし、皆さんもよくご承知のように、人のわがままに全て答えるとなったら、どれほどその人を理解しなければならないでしょうか。費用対コストを考える、ビジネスとしては成り立ちにくい領域という結論になるような気がします。すなわち、百人十色の要求に応え、商品やサービスを提供するとなると、極論すれば、個別に対応するシステムでしか顧客に満足を提供できないということになる。でも、顧客自体も人の子として生まれてきた以上、自分のわがままにも限度があり、人から嫌われることは避けたいはずです。

 江戸時代の植木屋さんや大工さんなどは、大きな屋敷の専属で、かゆいところに手の届くような仕事をしてきたからこそ、固い絆が生まれたのでしょう。でも、そこにも重大な欠陥があった。それは情報を経済的合理性に生せるレベルのものではなかった。情報を収集し分析することで成し得るビジネスの成果には目を見張るものがあります。しかし、人間の業というものに打ち勝つまでには至っていません。