自分の仕事ぶりが正当に評価されたとき

 

 人類の発明で最たるものの一つが「お金」であると私は思っている。もちろんこの考え方には異論もあるだろうし、それ自体十分に機能しない不合理な面もたくさんあります。でも、今のところこれに変わるような便利なものはありません。近年は、ビットコインをはじめとする「仮想通貨」や「キャッシュレス」「ネットバンキング」などが台頭してきていますが、これとて「お金」というものの概念自体が廃れてきたことを意味するものではありませんよね。その証拠にいまだにお金の亡者は健在です。

 しかし、私たちはお金より大切なものがあることもよく知っています。本来お金は、そうした大切なものを守る手段であるということも一方で認識しています。つまり、働いてお金を稼ぐのは、それ自体が目的ではなく、もっと大切なものを手に入れる手段として有効なものだと位置づけているからお金に固執するわけです。ドラッカーは「お金は目的ではなく、条件である」と言っています。その心は、ビジネスで成功するためには、「お金」という条件が整っていなければ成り立たないということを意味しているのでしょう。

 だからこそ私たちは、「お金」という条件を整えるために仕事の腕を磨き、お金を得ようと日々努めているわけです。それがいつの間にか、お金さえあれば何でもできると勘違いしてしまい、それが高じるとお金の亡者に進化してしまうこともあります。社会生活を営む上で重要なお金を得るためには、まず、自分という人間を評価されなければなりません。これが結構難しいことであることは、いまさら説明する余地はないと思いますが、中国の古事に「将を射んと欲すれば、先ず馬を射よ」という諺があります。

 私がこの本で皆さんに訴えたかったのは、自分の仕事が評価されるという条件が整わなければ、その一つ上のお金という条件を入手することができないということです。そして、この場合、自分の仕事を評価するのは、自分以外の人であるということです。このことにある種の不合理を感じ、中には全く納得がいかない人もいるかもしれません。しかし、お金という条件は家族を養うためにも必要不可欠な条件であるため、敢えて自分の価値観を曲げて、他人からの評価を高めるために努力することになるわけです。

 そうした理不尽さに囲まれている中でも、思いがけなく自分の仕事ぶりを評価され、子供のころに先生や親から褒められたときの感激が甦ったときは、何ともいえないいい気分になるものです。そして、これが自分らしさなのだ! と気づき、自分の生き方を修正(本当はもとに戻す)しようと決心すれば、「将を射る」体制固めに真価を見出すことでしょう。しかし、大変残念なことですが、お金という手段(条件)を手に入れるためには、自分の個性に封印を押して、他人の評価軸に従って行動する道を選択してしまう。

 これは大変もったいないことです。今の学校教育自体、こうした「金太郎あめ」作りのような画一的方法で、八方美人を大量生産しています。世の中は、いろいろな個性をもった人間であふれている方が、そうした人々の多様なニースやウオンツに応えられるし、自分自身の個性に誇りを持って、自分の居場所を見つけられるチャンスも広がる。こうした社会は、人から与えられるのではなく、まず、自分自身が行動を起こさなければ始まりません。