実行の確約

 

 単なる口約束は信用されないことが多い。サム・ゴールドウィンはそのことを、「口約束はそれを書きとめるための紙よりも値打ちがない」と表現した。ダシール・ハメットの『マルタの鷹』(ゴールドウィンのライバル、ワーナー・ブラザーズがサム・スペードにハンフリー・ボガード、ガットマンにシドニー・グリーンスストリートを起用して映画化した)の中にも、その点を表現したシーンが出てくる。ガットマンはサム・スペードに一万ドルの入った封筒を渡す。

 スペードは、口許に笑みを浮かべながら顔を上げた。彼はソフトな口調で、「話していた額はもっと多いはずだが」と語りかけると、ガットマンはうなずいて答えた。「そのとおり。ただ、その時の話です。それにひきかえ、このお金は本物です。この一ドルで話の中に出てくる十ドルよりいろいろ買えますよ」。この教訓は、トーマス・ホップスにまで遡ることができる。「ことばによる結びつきは、人間の食欲を縛るにはあまりにも弱い」と彼は言い、リア汪は女性も同じ、と言っている。

 信頼性は、すべての戦略活用行動に共通の問題である。条件なしの行動、脅し、約束を口頭でした場合、後に予定の行動がこちらの利益に反すると分かったとき、それらの行動をやり過ごすインセンティブはなくなる。しかし、同時に相手の側も先読みして、こちらがいったとおりの行動をとらないと予測するので、戦略活用行動は効果を失う。第5章の戦略の要点は、相手の行動に対しこちらがどう反応するか、その反応についての相手の予測を変えさせることであった。

 これは、こちらが脅しや約束で示したことを実行しないと相手が考えれば、達成されない。相手の予測を変えることができれば、相手の行動を変えることもできないのである。こちらの行動が変更可能なときは、戦略的に思考する相手には戦略的効果は消滅する。相手は、こちらの発言と行動が食い違うかもしれないことに気づき、こちらが一杯食わされようとしていることを見通せる場合がある。逆行動の有名な例として、ワーテルローの戦いの後にロスチャイルドが行った債券市場操作がある。ロスチャイルドは、伝書鳩を使って戦いの結果を最初に知ることができた。

 イギリスが勝ったと知るや、ロスチャイルドは英国債を売りに出し、イギリスは破れたと信じ込ませた。英国債の価格は急落したが、一方で、真実が知られる前に、ロスチャイルドは密に大量の債権を底値で買い集めたのだ。もし、ロンドン市場がロスチャイルドの逆行動に気づいていれば、策略は見破られ、計画はうまく行かなかっただろう。戦略的な駆け引きを会得している相手方は、こちらが相手を認識させようとするのを予想していたので、相手の利益になると思われる行動によって惑わされることはない。

 戦略的な意味の信頼性を確立するためには、条件なしの行動、約束、脅しを実行していく必要がある。ロスチャイルドと違って、周囲を騙せると思ってはいけない。実行の確約は額面どおりに受け取ることはまれであり、確約が本当かどうかチェックされていると考えるべきである。信頼性はたなぼたでは得られない。努力して稼ぐものである。信頼性の条件として、後戻りが許されない状況というものがある。もし明日がなければ、今日の確約は覆ることがない。死ぬ間際になされた遺言は変えられないので、法廷で重視される。しかし、普通の場合には、明日や明後日もあるので確約を長期間どう維持するかが問題になる。「今日はごちそうにしよう。明日からは断食するから」というのは、行動を変える言い訳に過ぎない。