囚人のジレンマ(その3)

 

 初回はクラスでの話し合いなしで、続いて共謀のための話し合いを許して、このゲームを何回か試してみると、生産量1を選ぶ学生数は三人から一四人までの間の分布を示した。そうした試行を踏まえて、いよいよこのゲームの本番を行ったところ、生産量1選んだ学生は四人だった。合計の受取額は15.82ドルで、共謀が完全に成功した場合より13.34ドル少なかった。

この結果に、共謀のリーダーは「もう、金輪際、他人なんか信用しないぞ」と不満をぶちまけた。ちなみに、このリーダーは、自分はどうしたいのかと聞かれると、「当然、生産量2を選んだ」と答えたということだ。この状況は、ジョセフ・ヘラーの小説『キャッチ22』のヨサリアンの立場を思い起こさせる。第二次大戦がほぼ終結に向かおうとしていたとき、ヨサリアンは、最後の戦死者になりたくないと考えていた。

指揮官はヨサリアンに尋ねた。「しかし、全員がそういうふうに考えたらと想像してみろ」。するとヨサリアンは答えていわく、「もしそうならなおのこと、戦死するのは馬鹿げているじゃありませんか」。政治家もまた同じようなジレンマに陥っている。1984年に、大部分の人は、アメリカの財政赤字は巨額になり過ぎ、大幅な支出の削減が政治的な理由により望めない以上、増税は避けられない、という共通の認識を持った。

しかし、だれが政治的リーダーシップをとって増税を実現できるだろうか。民主党の大統領候補モンデールは、選挙キャンペーンでこの政策変更を訴え、増税なしを約束したレーガンの前に見事に敗れ去った。けれども、ついに1985年にこの問題は政治のテーブルにのぼらざるを得なくなった。しかし、以前として政治の主役たちは消極的で、例えば民主党対共和党、下院対上院、あるいは政府対議会という組み合わせで、必ずそれぞれの側は、相手の側がイニシアチブをとることを期待した。

もっとも望ましいシナリオは、相手が政治的代価を払って増税と支出の削減を言い出すことである。逆に、そういう政策をこちらの方で提案し、しかも相手は受け身でいるというのは最悪の結果である。共同してリーダーシップを発揮して、毀誉褒貶(はくきょほうへん)をともに受けるのが、両方とも受け身のままでいて巨額の赤字を続けるよりも、国のため、あるいは長期的には自分のためにもなるとの合意が形成されることが好ましい状態である。

おのおのの戦略と結果示す図4-4{民主党:共和党=イニシアチブ:イニシアチブ=2:2、民主党:共和党=受け身:イニシアチブ=1:4、民主党:共和党=イニシアチブ:受け身=4:1、民主党:共和党=受け身:受け身=3:3(図省略)}を使ってこの状況を眺めてみよう。共和党と民主党の組み合わせで、それぞれが望む結果に1から4までのランクをつける(1が最も望ましい)。それぞれの枠の中で左下が共和党のランクを表す。

4-4(省略)から、受け身でいるのが両方にとって絶対優位の戦略であることがわかる。これは実際に起こったことでもある。第九九回議会では結局、増税の動きはなかった。第九九回議会は、将来に赤字削減政策を義務づけるグラム・ラドマン・ホーリンクス法を通過させた。しかし、これは難しい選択を先送りする見せかけの行動に過ぎなかった。その法案が目標としたのは、実際の支出の抑制というよりも、会計上の操作によって達成されつつある。