それでは、税制によって各人から適切な努力を引き出すことはできない。収入を尺度とした税制では、直接、さぼりに対して厳しい処罰をする代わりに、低い所得に対して厳しい処罰を科さねばならないが、そうすればさぼりとともに不運に対しても罰を科することになってしまう。平等主義と税制のインセンティブ効果の間には根本的な食い違いがあり、税制は両者のバランスをとったものにしなければならない。
次に生来の才能の差について考えてみよう。平等主義者は、才能によって稼いだ経済的利益はすべて税として徴収してしまって良いと主張するかもしれない。そうするためには、才能のある人にしかるべき機会を与え、しかも収入がすべて税金となることを知りながらもその才能を発揮してもらわなければならない。しかし、恵まれた才能があっても、それを十分に開花させるには相当の努力が必要である。平等主義の下では、社会にある才能が不十分にしか使われなくなり、その点からも平等主義を徹底することには限界があるだろう。
才能を見つけ出し、その成果に課税することが難しいことを示す例は、ソ連などの社会主義国における芸術家やスポーツ選手の待遇に見られる。これらの国の政策では、西側諸国の大会で、スポーツ選手の獲得賞金や芸術家のパフォーマンスから得られる収入は全て国家に行き、各個人は給料と必要経費をもらうだけである。それでもこういった選手は個人的なプライドとベストを尽くす喜びがある限り、努力を惜しまないと思う人もいるかもしれない。しかし実際には、こうした選手や芸術家はその国の平均水準を遥かに上回る給料やその他の待遇を受けている。それでも多くの人々が西側に亡命を計る。最近、ソ連のテニスのトッププレーヤーが自ら得た賞金の配分をめぐって国と交渉したが、これは所得税の交渉という珍しい例である。
最後に、平等とインセンティブのバランスの取れた税制が確率されたとしても、行政はその実施戦略を考えなければ、政府が簡単に把握できるものではない。賃金・給与・利子配当所得等を支払う人は、税当局にその内容を報告する義務がある。しかし、政府はかなりの範囲まで各個人の所得申告に頼らざるを得ない。所得申告には調査を行うこともあるが、調査にはコストがかかり、実際にはごく一部の申告しか調査できない。調査対象となる申告はどのように選ぶべきだろう。
ミックス戦略についての議論の中で、世間に知られた規則性のあるやり方で調査対象を選ぶのは誤りであると指摘した。人々は調査対象外であることを確認すれば所得を低く申告したり、控除額を低く申告したりするだろうし、調査されるとわかった人は正直に申告するだろう。調査しても仕方がない人々を調査することになる。だから調査の対象は無作為に選ばれる必要がある。調査を受ける確率は、申告書記載のさまざまな事項に応じて決まるようにするべきだ。しかしどのようにすればよいだろうか。もし人々がその他の点では同一であれば、所得の少ない人は運が悪かった人ということになる。しかし低い所得を申告して不運を装うことは可能である。
こう考えると、所得の低い人ほど高い確率で調査するべきだということになる。ところが、実際は人々には様々な点で違いがあり、この違いは通常、運による違いよりも大きい。所得が2万ドルという申告は、弁護士ではなく、工場労働者によってなされたときのほうが正直なのである度合いは高いだろう。税務当局は、職業別給与に関する情報を持っている。それゆえ、職業の平均給与の割に申告所得が少ない人には高い確率で調査を行なうのがよい。同様に、標準と目される額より控除額が多い人も高い確率で調査を行うのが望ましい。事実、そのように調査対象に選ばれている。