ケース・スタディ{その22 再配分の限界(1)}

 

 多くの国では経済的公平を重視している。ほとんどの政府は、累進課税を適用し所得の再配分につとめ、例えば、米国では1960年代と70年代には最高税率は70%を越えることもあった。スェーデンでは限界税率が100%を越えることもあった。しかし、最近10年間は、高い税率は労働意欲を失わせるという考え方が優勢になり、1980年代に米国はもちろん、平等主義的なスェーデンにおいてさえ、最高税率は著しく引き下げられた。

 減税の第一の目的は、労度意欲の減少を防ぐことにある。減税によって富を蓄えることにインセンティブが生まれたが、同時に所得の不公平も広がった。もちろん不公平の原因にはいろいろのものがあり、累進課税による是正は不公平をもとから直すのではなく、結果に対して調整を加えているに過ぎない。不公平の様々な原因について考え、それが理想的な税制の策定にどう影響するかを議論してみよう。理想的な税制を施行するうえでの問題点は何か。また、それは現在の税制と比較してどうだろうか。

 

《ケース・ディスカッション》

 経済的不公平についてのいくつかの原因に着目するところから始めよう。第一に、運というものがある。これには二種類あって、生まれつきの才能に差がある場合と、才能は同じであっても時々の運により差がつく場合がある。運不運による不公平は好ましくないと多くの人が思っており、これを少しでも公平にするような課税は広い支持を得られるだろう。

 第二に、努力がある。人より一所懸命に働けば収入も増えよう。税制による勤労意欲の変化という議論では、この努力をするインセンティブが問題になっている。収入の大部分を税金として持っていかれるのであれば、一所懸命に働く人はいなくなるだろう。根強い平等主義者が収入は他人と共有すべきだと主張しても、多くの人は自分が努力して得たものを自分で所有するのは道徳的にも正しいと考えている。

 政府は勤労意欲をそぐことなく、各国民の努力の経済的成果の一部を徴収したいと思っているとしよう。収税吏が国民の努力を監視することができれば話は簡単だ。各人の税金明細は、努力の尺度によって決定され、理想的な努力に不足する度合いに応じて懲罰的な税金を課される。現実には、何百万人という労働者の努力を監視することは非常に難しい。労働者は、毎日タイムレコーダーで出退時を記録するかもしれないが、仕事をいい加減にやって労働の質を落とすこともできる。

 厳しい処罰を行えるソ連型の経済においてさえ労度の質を上げるには物質的なインセンティブを与えざるを得なかった。物質的なインセンティブなしでは「労働者は仕事をするふりをし、政府は給料を払うふりをしている」という悪循環に陥ってしまう。現実には、努力の結果である「収入」という間接的な尺度によって、努力は判断される。しかしこの尺度は完全ではない。高い収入は努力の結果であるかもしれないし、幸運の連続によるかもしれない。