ケース・スタディ{その15 二重の誤りは正しいのと同じ}

 

 親は子供のいたずらを叱るとき困難に陥ることがしばしばある。子供たちは親が罰を与えると脅かしても、実に鋭い感覚で親が本気かどうかを見抜いてしまう。罰は自分たちにとって苦痛であるとともに親にとっても苦痛であることを子供たちはよくわかっているのだ。親は子供たちのためを思って叱るのだと考えて、自分を納得させているが、親にとって子供のいたずらへの罰をより信頼性のあるものにする手段はないものだろうか。

 

《ケース・ディスカッション》

 両親と子供一人がいれば、三人ゲームが成立する。両親のチームワークでいたずら好きの子供に信頼性の高い罰則の脅しを与えられる。例えば子供がいたずらをした場合、父親が罰を与えると両親が約束したとしよう。もし子供が罰を逃れるために両親の行動の非合理性を指摘してきたら、父親は自分もできれば罰を与えたくないと本音を洩らし見逃してしまうかもしれない。しかし、もし彼が罰を与えなければ、妻との約束を破ることになる。

妻との約束を破ることは、子供に与えること以上に父親にとっては苦痛なので、罰の脅しは信憑性のあるものとなる。親が一人でもこのゲームはできるが、罰則の約束を親子間でしなければならないので議論は若干複雑になる。やはり子供がいたずらするとやはり父親が罰を与えるとしよう。先ほど同様、子供が父親の非合理性を指摘してきたら、父親は見逃してしまうかもしれない。

 しかし、もし彼が罰を与えなければ彼が約束を破ることになり、罰を受けるべき立場になる。だから彼は自分が罰を受ける立場にならないために、子供を罰する。しかし、いったい誰が父親を罰するのだろうか。子供である。子供は、父親が自分を許してくれたら、自分も父親が罰を与えるのを怠ったという罪を赦すと父親に言うだろう。すると今度は、父親が、子供が父親を罰するのを見逃すなら、それは子供の罰だから、それを罰しなくてはならないという。そうなるとまた父親が罰を与える立場になるまで続く。この話は若干こじつけのように聞こえるかもしないが、子供のいたずらを叱るとき、正当化のために用いる議論も同じようにこじつけのものが多い。