エール大学のマーチン・シュービック教授は次のような計略ゲームを考えた。オークション主催者が1ドル紙幣という品をせりにかける。せり値は5セント単位で上がっていく。最も高値をつけた者が1ドルを得て、最高値の人と二番目の高値の人が自分のつけた値をオークション主催者に払う。教授はまだ疑い深くない学部学生を相手に授業でこのゲームを行い、職員食堂の食事代くらいはうかしているという。
例えば、現在の最高値は60セントで、自分は55セントで第二位であるとしよう。このままでは最高値をつけた人は40セント儲かるが自分は55セント損をしてしまう。せり値を65セントに上げれば立場は逆転する。この関係は、最高値が3.60ドルで自分が3.55ドルという場合でも全く同じだ。せり値をさらに上げない限り、最高値をつけたものは2.6ドルを失い、自分は3.55ドル失う。さて、このゲームにはどのような戦略で挑むべきだろう。
これはアリ地獄のようなものだ。いったんはまってしまうと出るのは難しい。結果が見通せない限り、はじめから参加しない方がよい。このケームの均衡点は一つしかない。それは、最初のつけ値が1ドルで、それ以上だれも値をつけない状態である。しかしつけ値が1ドル以下からスタートしてしまった場合はどうなるだろうか。このゲームは際限なく続き、最後には財布の中の全財産を失ってしまうであろう。
だから思い起こさねばならないのは、「ルール1:先を読んで合理的に今を推量せよ」である。シュービックの1ドルオークションにエリとジョンという二人の学生が参加しているとする。二人とも財布には2.5ドルもっていて、互いの財布の中身を知っているとしよう。簡単にするために競り値は10セント単位で上がっていくとする。先読み推量により最後から考え始めると、もしエリが2.5ドルをつければ、エリは1ドルオークションに勝つ(しかし差し引き1.5ドル失う)。
エリが2.4ドルのとき、ジョンが勝つには2.5ドルをつけるしかない。しかし、ジョン現在のつけ値が1.5ドルかそれ以下のとき、エリは2.4ドルのつけ値で勝てる。なぜなら、ジョンはさらに1ドルを払って1ドルを得たのでは得にならないからである。次に、エリのつけ値が2.3ドルのときも同じ議論ができる。ジョンは2.4ドルをつけられない。というのも、エリは2.5ドルをつけて対抗してくるからだ。
ジョンは勝つためには、2.5トルをつける必要がある。だから2.3ドルでは1.5ドル以下のつけ値には対抗できる。同じことが2.2ドル、2.1ドルさらには1.6ドルのつけ値についてもいえる。エリが1.6ドルをつけた段階でジョンは、相手側はつけ値が2.5ドルに行きつくまであきらめないであろうと予測できる。エリは、1.6はすでに失ったものと考えて、1ドルを得るために90セントせり値を上げるのは合理的だからである。
よって最初に1.6ドルをつけた側がオークションに勝つ。なぜならそれにより、2.5ドルまで値を引き上げる準備があるという、実行の確約をしたことになるからだ。1.5ドルに勝つためには、1.6ドルで充分である。同様に、1.5ドルのつけ値は、60セント以下のつけ値に勝てる。よって70セントをつけた側は、1.6ドルまでつり上げて確実に勝つのは合理的であるからだ。この実行確約により、その段階で60セント以下を提示していた人はさらに挑戦しようとはしないのである。
結局、ジョンとエリがどちらも合理的に判断する学生であれば、両者のどちらかが70セントをつけた時点でオークションは終わると予測できる。このことは参加者が三人以上いる場合にも適用できる。また、両社の財布の中の金額が違っても、相手の金額を知っているのであれば、先読み推量により答えを導き出せる。相手の金額を知らないのであれば、ミックス戦略に頼らざるを得ない。
実は、学生にとってこれよりはるかに単純で得な方法は、結束することだ。オークション参加者の合意の下で代表者が10セントの値をつけ、だれもそれ以上値をつり上げなければ、クラス全体として90セントの儲けを得られたはずである。この話は、エールの学部学生の愚かさの証明だと思うかもしれないが、超大国の核競争はこれと違うことろがあるだろうか。両国とも勝っても負けても1ドル程度の差しかない戦いのために何兆ドルという経費を使っているのである。平和的共存という結束のほうがはるかに得策である。