瀬戸際戦略{その5 核の瀬戸際戦略}

 

 ここまで見てきた考えをまとめて、アメリカがどのように核の瀬戸際戦略を効果的な抑止方法として使ってきたかを眺めてみることにしよう。冷戦が終わりに近づき、軍備競争が縮小しつつある現在では、以前はむずかしかった核の瀬戸際戦略を冷静に分析するチャンスである。多くの論者は核兵器は使うにはあまりに巨大な脅しなので核の瀬戸際戦略には矛盾があると主張する。

 もし、核兵器の使用が理性的でないなら、脅しもまた理性的ではあり得ないだろう。これがガットマンとスペードの駆引きを大きくしたものである。核兵器による脅しが無価値なら、核兵器は小さな衝突さえ抑止するのに役立たないということになる。これがNATOの核の傘では、数量で勝るソ連の通常兵器戦力に対して十分な備えにならないと、西欧諸国の恐れる理由であった。

 例えば、アメリカがヨーロッパを防衛しようと決意しても、この議論よれば、核兵器による報復の脅しはソ連の小さな侵攻には効果的に機能しない。ソ連は「サラミソーセージ作戦」(一切れずつ進んでゆく)を使って利を得ることができる。西ベルリンで暴動が起き、火事が起こったと想像してみよう。東ドイツの消防団が救援に来るかもしれない。そのとき、アメリカ大統領は核攻撃ボタンを押すだろうか。押しはしないであろう。

 次に東ドイツの警察も応援としてやってくる。それを見て攻撃ボタンを押すだろうか。押さないだろう。東ドイツからの応援部隊は西ベルリンにとどまり、数日後には東ドイツ軍に置き換わっているとも考えられる。それぞれの時点で、侵攻の増加する程度は核兵器を持ち出すには大袈裟といえるものである。NATOは我慢の範囲を広げ続け、最終的にはソ連はロンドンのトラファルガー広場におさまり、流浪の身となったNATOの首脳陣はどこで反撃のチャンスを逃したのか考えているかもしれない。

 しかし、この結論は誤っている。ヨーロッパにおいてソ連の通常兵器による侵攻に対し、アメリカが核兵器で応戦するという脅しは瀬戸際戦略の一つである。我慢の範囲を広げていく問題を取り扱うのには二つの方法があり、瀬戸際戦略にはその二つとも使用する。まず、報復を実施するかどうかを自分でコントロールできないような仕組みを整え、限度となる線を引き直して我慢の範囲を広げる機会をなくせる。

 次に、デジタルな境界線のかわりに、滑り落ちやすい危険な勾配を持つ構造を取り入れる。斜面を一歩滑り落ちるごとにコントロールが失われ、断崖に落ちる危険が高まる。このようにして、「サラミソーセージ作戦」でこちらの脅しを回避しようとする相手方は、絶えず惨劇発生の可能性に身を晒すことになる。一切れ進むと、たとえそれがどんなに薄くても、それがラクダの背骨を折ったという最後の一本のわらになるかもしれないのだ。

 このタイプの脅しに信頼性を与えるための基本的な構成要素は、こちらも相手方もどこが限界値点なのかがわからないことだ。小さな確率で大惨事が発生するという脅しは、小さな罰則が確実に執行されるという脅しと同じ価値をもつ。アメリカは政府が必死に止めようとしてもかなわず、ミサイルが飛んで行ってしまうかもしれない危険を作り出すことで核による脅しを用いてきた。

アメリカの脅しは、事態が起きれば、自らの意に反して実行されてしまう。核兵器による脅しは意図せざる偶然に支配される。通常兵器による衝突がコントロールの手を離れてエスカレートしていく可能性が核の抑止を成立させている。核の脅しは相互を破滅させる確実性ではなく、可能性に根拠を置いている。衝突がエスカレートするにつれ、核による対決を招く事象の発生する確率が高まってゆく。

核戦争の確率が十分大きくなると、片方の側は後退を望む。しかし、物事の進行には弾みがついていて、歩み寄りは遅すぎるかもしれない。指導者のコントロールを越えた、予期せぬ、偶然の、おそらく事故か非合理な行動によって、核戦争へと通じる回路が開いてしまう。MITの政治学者バリー・ポーセンは次のように述べている。「エスカレーションは、リーダーによって決定された先制攻撃、あるいは通常兵器戦での敗北に直面しての戦闘拡大という理性的な政策選択か、または機械的な失敗、命令無視の暴走、あるいは狂気の結果としての事故と、一般的に考えられてきた。しかし、実際は激しい通常兵器戦における普通の行動としてエスカレーションは起こり得、それは前述二つのカテゴリーの中間に位置する。すなわち、この種のエスカレーションは、意図的な政策の選択行動でも事故でもなく、むしろ通常兵器戦を遂行するという決定の意図せざる結果である」。

 核による抑止は根本的なトレード・オフを含んでいる。相互の破滅をもたらすことが可能なところに脅しの価値がある。この四十年間、世界は核とともに世界戦争なしできた。しかし、そこには同時に地球の運命を偶然に委ねるというコスト(代償)も存在している。核による抑止を実現するには、相互の破滅という危険をいくらかでも受け入れなくてはならない。核による抑止をめぐっての議論多くはこの危険に関してである。抑止力を失うことなく、核戦争の確率を下げるために何ができるのだろうか。ここでもやはり、一般化された危険を、効果と受容性を天秤にかけたある範囲に止めておくことが必要であろう。ここではそれを達成するための指針を示した。けれども、究極的に成功する瀬戸際戦略は、やはり芸術と冒険の域を残している。