瀬戸際戦略{その6 ケース・スタディ(大西洋の瀬戸際戦略)}

 

 「戦争が開始されれば、海軍は直ちに潜水艦、続いて航空母艦をノルウェー海域に急行させる。これら艦隊はソ連艦隊撃破し、さらに艦載攻撃機の航続距離内の港、要塞を空爆して敵の基地をたたく」(ジョン・リーマン、アメリカ海軍省長官)。「ソ連の核ミサイル潜水艦を威嚇することは核戦争への道を開く。エスカレートしやすい」(バリー・ポーセン、MIT政治学教授)。

 ポーセンは、アメリカ海軍が大西洋において、極めて危険でエスカレートしがちな方針をとっていると主張する。ソ連と通常兵器による衝突が起こった場合に、アメリカ海軍は大西洋にいる全てのソ連潜水艦を攻撃するつもりである。しかし、この戦略は、現在のところ、アメリカは核武装の潜水艦と通常武装の潜水艦を区別することができないという問題を浮上させる。したがって、アメリカが核武装したソ連潜水艦をそうとは知らずに撃沈することで、核戦争の分水嶺たる一線を越えてしまうという危険がある。その時点で、ソ連はアメリカの核兵器を攻撃することを正当化できると考え、全面戦争の勃発に非常に接近する。

 さて、海軍省長官のジョン・リーマンの方は、ポーセンの批判に負けず、持論を弁護している。彼は、通常兵器戦が核による対決へエカレーとする確率を高めることは認めている。ただし、彼はソ連も同様にこのことを認識すべきであると論じている。すなわち、核戦争へエスカレートする確率が高まれば、発端となる通常兵器による衝突が起こる確率も減るはずだというわけだというわけである。瀬戸際戦略はどちらの側に与するだろうか。

 瀬戸際戦略の考え方からすると、どちらの側にも難があるというのが結論である。目的が核戦争を防ぐことであるとき、瀬戸際戦略は何ら影響を与えることができない。通常兵器による衝突がエスカレートしていく確率が増加すると、通常兵器による初めの衝突が発生する確率が減少するのとは相殺されてしまう。決闘を例えにして話を進めると、ピストルの射撃制度を落として決闘の安全性を高めようとする試みを想像してみよう。ピストルの射撃精度が下がれば、決闘者同士はもっと接近してから撃つという結果が予想される。

 決闘者はともに射撃の名手で、相手を撃てばプラス1、自分が撃たれればマイナス1の効用があると仮定すると、両者にとっての最適の戦略は、お互いに近寄り、命中確率が二分の一になった瞬間に撃つというものである。少なくとも、一人は撃たれる確率は四分の三で、銃の制度には関係がない。つまり、設定条件の変更は必ずしも結果に影響を与えるとはいえず、ゲームの参加者はそれぞれの戦略を修正して、条件の変更を無効にすることができる。

 ソ連に通常兵器による攻撃を開始するのを抑止させるためには、アメリカはその攻撃が核戦争にまでエスカレートするかもしれないという、いくばくかの危険にソ連を晒す必要がある。もし事態が進行すればするほど、核戦争の危険も大きくなるというのであれば、ソ連も気づかって事態を進行させるのを緩めるだろう。アメリカの側もソ連と同様、両国が増大する危機に直面していることを理解して譲歩すると考えられる。

 アメリカ、ソ連の両国とも、自分たちの戦略を評価するにあたっては当面の行動だけでなく、その戦略が引き起こす最終的な結果も考慮に入れなければならない。もう一つの例として、米ソ両国がオークションに参加していると仮定してみよう。ドルやループの代わりに惨事発生の確率で値をつけているとすると、ある点を超えると競り上げが非常に危険になる。例えば、片方の側は両方にとって負けとなる確率が23%なる前に降りようとしているとする。しかし、その時は最早手遅れで、負けの確率はすでに現実の結果となって現れるかもしれない。

 アメリカとソ連の間の対決では、値づけは対決がエスカレートする確率でなされる。両者が入札額の情報をどのようにお互いに知りうるかは、ゲームのルールに大きく依存している。しかし、ルールを変更するだけでは、それをもって瀬戸際戦略の安全度が増したということにはならない。例えアメリカが大西洋における戦略を変更しても、ソ連は自分の戦略を変更することにより、アメリカに以前と同じ圧力をかけることができる。世界が安全であるほと、両国はエスカレートしてゆく戦略をとれる。

 脅しが確率で与えられるときには、ソ連は常に戦略を調整して確率を同じに保つことが可能である。しかし、この結果は、諦めて核戦争の危険に身を委ねるべきだといっているわけではない。危険を減らすためには、もっと本質的な次元からゲームそのものを変えなくてはならない。フランスとドイツの貴族が長生きしたいと思えば、精度の悪いピストルを決闘に使うのではなく、手袋を落としたら決闘が始まるという名誉の掟を変えることこそが必要であろう。米ソ両国も同じ目標を共有することで、ルールではなく、ゲームそのものを変えることができるだろう。