もしだれかから秘密の情報を聞き出したいととき、話さないと殺すという脅しはあまり信頼性があるとはいえない。相手は、本当に殺したら、秘密もそのまま闇に葬り去られてしまうことになるので、脅しを実行する利点はないとわかっているからだ。ハリウッドの映画に、この問題にどう対処したらいいかを扱った良い例がある。シェリングは映画『ジャマイカの熱い風』の中のあるシーンを引いている。
「海賊のキャプテン、シャベは、金をどこに隠しているか喋らせようとして、ナイフを捕虜の喉元に突きつけた。捕虜が口を閉ざしていたほんの数秒の間にも笑う者があった。"もし、その男の喉を切り裂けば、話すことはできなくなる。そのことがその男にわかっている。そして、あんたがそのことを知っていることもわかっている"。シャベはナイフをどけ、何か他の方法を試し始めた」。
シャベはもし『マルタの鷹』を観ていれば、ナイフをどけずに瀬戸際の状況を保ったかもしれない。その映画ではスペード(ハンフリー・ボガード)が価値ある鳥を隠していて、ガットマン(シドニー・グリーンストリート)がそのありかを見つけ出そうとしている。スペードはレバンタインの方に微笑みかけると、冷静な口調で答えた。「あんたはあの鳥が欲しい。私はそのありかを知っている。もし、私を殺したら、どうやってあの鳥を手に入れるつもりなのか。あなたが鳥を手に入れるまで私を殺せないと知っている以上、どうやって鳥を渡せと私を脅すつもりだ」。
ガットマンはどのようにして脅しの信憑性あるものにするつもりかを説明した。「君の言うことはわかる」。ガットマンは含み笑いをしていった。「これはわれわれ両者にとって非常に微妙な判断が必要な問題だ。というのも、ご存知のように、人間というものは熱中すると何が一番狙いだったか忘れてしまい、感情の赴くまま行動することがある」。ガットマンはスペードを確実に殺すといって脅せないことを認めた。かわりに彼は、スペードを興奮状態では物事にコントロールが効かなくなることがあり得るという危険にさらすことができる。結果は偶然に左右される。
ガットマンは本当にスペードを殺したいわけではない。しかし、事故というのは起こりうる。ガットマンはスペードが口を割らないときに殺すと断じることはできない。けれども彼は、スペードが殺される(のを止められない)かもしれない状況にスペードを置くことはできる。もし罰が十分大きければ、処罰の可能性をつくりだすことで、脅しに実効力を持たせることができる。
この意味では、スペードが殺される確率が大きければ大きいほど、脅しの効果は強められる。しかし、同時にガットマンはあまりに大きい危険は避けるであろうから、結局、脅しの効果は減殺される。ガットマンの瀬戸際戦略は、スペードには鳥のありかを喋らせるほどほど大きく、ガットマンには許容範囲にとどまるほど小さい、中間領域の危険が存在するときだけに機能する。
このような領域は、スペードの命を惜しいと思う程度が、ガットマンの鳥を手に入れたいと思う程度に勝る状態に対応している。すなわち、死という結果が起こる確率が、情報を失うという結果が起こる確率より小さい場合がこれにあたる。スペードの恐怖にガットマンの躊躇、瀬戸際戦略は危険の造出だけではなく、危険の程度を慎重にコントロールすることだとわかる。ここで問題が現れる。危険を生み出すメカニズムというのは、一方で危険を十分にコントロールできる仕組みを欠いている。先に、ケネディがどのように内部の政治力学と行動準則を使って、コントロール不能の、ケネディが望んでも後戻りし難い状態を作り出したかをみた。
この状況下では、危険がアメリカにとって大きくなり過ぎないように止めようと思っても難しいといわなくてはならない。三分の一から二分の一というケネディの危険率の推定値は非常に幅が大きいと考えられ、危険がコントロールされていないという見方も成り立つ。このジレンマに対する完全な回答はない。瀬戸際戦略というのは、しばしば有効ではあるが、危険の要素も残しているといえよう。