オークション{その5 競売の戦略的構造の微妙な部分(1)}

 

これまでの議論は、自分の払う意思のある最高価格が、オークションの最中に変わることはないという前提に基づいている。競売の場合には、最善の戦略があると主張したが、前述の設定では、競売にかかる商品の自分にとっての価格は、競売の開始時にはすでにわかっているということを前提にしていたことを思い出そう。オークションの最中に、自分が払おうとする最高価格を見直すべき可能性はある。このことによって、競売であるべき戦略に微妙なあやが生じる。

 次の例を考えよう。自分の欲しかった少年マガジンの初版本を、最大1万円までなら払おうとオークションに臨んだ。ところが、実際にオークションの画面を見ていると、予想以上に入札者が多く、価格がどんどんつりあがって、1万円を突破してしまった。入札者が多いというのは、この少年マガジンの価格が、自分の予想よりも高いということかもしれない。

 すなわち、入札者の多いという情報を得て合理的に考察した結果、自分の支払ってもよいと思う金額が2万円に変わるかもしれない。そんな場合には、最高価格を2万円まで上昇させるのは合理的な行動といえる。もっとも、たいていの人はそのような思考法で最高価格の改定をおこなっているではないようだ。この微妙な部分こそ、競売で希少な商品を競り合う場合の危険性をはらむ部分でもある。

つまり、参加者が競売の進み方により、払おうとする金額を上方修正する可能性を悪用して、自分では買う気がないのに価格を競り上げるエージェントを使うインセンティブが売り手に生じるからである。平たく言えば、「さくら」を使うのである。

1980年のモスクワ・オリンピックの放映権はオークションで売却されたことはすでに述べたが、それは興味深いエピソードである。モスクワのオリンピック委員会は、独占放映権は競売で売ることを決定し、3大ネットワークにそのルールを説明し入札を促したのだが、さて競売がはじまると、3大ネットワークのほかにSATRAという無名のメディア・ネットワーク組織が競売に参加し、価格をつり上げることを目的として入札していたのだった。

 「さくら」は、もしその存在がわからないならば、売り手にとって利益をもたらすが、「さくら」がいると分かっているオークションには誰も参加しない。問題は、「さくら」の存在いかんにかかわらず、もしオークションに「さくら」が混じっていると買い手が予想するならば、それは買い手が価格を競り上げるインセンティブを減らすであろうし、オークションにも参加しなくなるかもしれない。