オークション{その2 競売の戦略的構造の基本(2)}

 

落札価格はというと、これは最後の競争相手が落札する値段である。落札者の次に支払う意思のある最大金額が高い人が、その金額まで競り続けるわけだから、それぞれの買い手が支払う意思のある最大の金額の中で、全体でみて2番目に高い金額が落札金額になるはずである。例えば、1箱の魚に対し、4人の魚屋がそれぞれ1000円、900円、800円、700円までなら支払う意思があったとしよう。

値段が700円を上回ると700円の買い手が脱落し、値段が800円のとき800円の買い手がさらには値段が900円までつりあがったときに900円の買い手が脱落する。その結果、1000円まで払ってもよいと考えている魚屋が競り勝ち、実際の落札金額は900円近辺ということになる。幸いにして、これらの知識を持っている人は、オークションに臨めば冷静に自分の支払う用意のある最高額を見極め、そこまでは競り合おうとするわけだが、世の中には、こうした知識を持ち合わせない人もたくさんいる。

なかにはオークションで競り勝つこと自体を目的としている人もいる。本人が意識しているかどうかは別として、こういう人は1000円までにしておこうと当初は思っていても、いざ競り合いになると見境を失い1000円以上まで競り合ってしまう。もしその人が理屈どおり行動すれば1000円で競り落とせたはずの商品でも、その人のせいで2000円、3000円と値が上がってしまう。

こういう人に対しては、そうアツクなりなさんなと忠告するくらいしか手立てはない。しかしも、往々にして本人にも自覚があって、気をつけているらしいのだが、いざその場になるとやっぱりアツクなってしまうので全く処置なしである。このような人がオークションに参加しているとき、賢明な人はどのように対処すべきであろうか。答えは、「変わらない」である。つまり、もし仮に自分以外に競争相手がいなかったときに、最大いくらまでなら支払うつもりがあるのかを自分に問いかけ、その金額まで競り合うのがやはり最善である。

もし、不幸にもアツクなる競争相手がいた場合、自分は競り落とすことができないであろうが、自分の払いたい金額以上に支払うのは愚の骨頂であるから、そういう場合には競りに負けてもよしとしなければならない。アツクなる相手がいなければ、理屈は前と同じであるから、やはり自分の支払う最高金額までは競り合うという戦略が最善である。つまり、最高額を決めそれまでならば競り合う、という戦略は、オークションへのほかの参加者の戦略にかかわらず最善なのである。

ここで一つの例題を考えてみよう。ごく普通の1万円札が競売にかかり、10人がこれを競り合うとすると落札価格はいくらになるだろうか。1万円札の市場価格は1万円で、しかもおそらくは誰にとっても、1万円札に対してしはらってもよい最高金額は1万円であろう。だから、この場合1万円以下で降りてしまう買い手は誰一人いないため、価格は1万円まで競り揚がる。誰が落とすかは運によるが、落札価格は1万円になるであろう。

1万円の落札価格では儲けは1銭も生じないから、運悪く落札できなかった人も、もちろん悔しがることはない。買い手にとっては、まったく儲からないオークションである。この10人のうちの1人がアツクなるタイプだったとすると、結果的にその人が1万円以上で競り落とすかもしれないが、そういう人と競り合っても仕方がないから、やはり先に述べた戦略が最善であることがわかるであろう。

もちろん、現実問題として競売にかかる商品の価格評価は各自さまざまになるから、この例は非常に極端である。しかしながら、商品に対する各自の評価が正確で、かつ接近しているような競売では、競り落としても買い手はなかなか儲からないはずだということは容易に推察できるであろう。これを売り手の立場から見ると、そのようなオークションの方が儲けが大きい理屈になる。商品を誰が一番高く評価してくれるかはわからないから、買い手をなるべく大勢集めたほうがよいわけだ。後述するようにインターネットでのオークションの将来性がまさにここにあるのである。