すでに述べたように、成果主義インセンティブ契約は、見える成果を評価するため、本当に求められる行動をしていても、成果が上がらない人には報酬を与えないことを意味する。行動が観測可能でないために、これは仕方がないことであるが、成果が出るかどうかのリスクが行動をする側に転化される傾向は重要である。中には、リスク自体を好む奇特な人がいるが、たいていの人はリスクはなるべく避けようとするとするであろうから、成果主義インセンティブ契約は、行動をとる側が負担するコストも増加させる効果があることをまず認識しなければならない。
その結果、努力をするインセンティブを与えるためには、成果が上がった場合の給与をリスク負担コストを含めた分だけ上昇させなければならない。この点は、簡単な数値例を使って確認できる。ある社員の努力いかんで会社の追加利益が決まる単純な状況を考え見よう。努力すれば会社の利益は最大100万円増加するとしよう。この社員の基本給は10万円であるが、かれはもう10万円もらうのならば、本気で努力してもいいと思っている。
努力が観察可能ならば問題は簡単で、会社は努力したら基本給に10万円追加する成果主義型の給与に変更すればよい。モラル・ハザード問題は生じない。また、努力すれば必ず100万円の成果があがるのならば、やはりもんだいは簡単で、100万円の利益があがれば10万円を基本給に追加する給与体系にすればよい。
問題は、努力が観測不能なことはもちろん、努力しても必ずしも100万円の成果が現れない場合である。例えば、努力したとき100万円の成果が上がる確率が50%で、努力してもまったく成果の上がらない確率も50%であるとしよう。このとき、100万円の利益が上がれば10万円の基本給に追加する給与体系では、努力を引き出すインセンティブにならない。なぜなら、10万円の給与の追加があってはじめて努力する意味があるのにも関わらず、50%の確率でしか給与は増えない。したがって、100万円の利益が上がれば10万円を基本給に追加する給与体系では社員は努力しないであろう。
それでは10万円ではなく、倍の20万円を追加するのはどうであろうか。この場合、努力をして運よく成果が出る場合に20万円の昇給があるから、運悪く成果が上がらず昇給しない可能性と平均すれば、努力すれば10万円の昇給が平均的に期待できる。しかし、社員はそれだけのリスクをとるだろうか。10万円もらえば努力する意味のある社員は、平均的に10万円もらえるとはいえ、努力がむくわれない可能性が50%もある給与体系において努力するとは考えにくい。
かといって、成果が現れないときにも昇給させるのでは効果がない。それならば、努力をしなくても自動的に昇給してしまうからだ。したがってこの場合、努力をさせるためには、成果が出たときに20万円以上の昇給を約束して、平均的には10万円以上の昇給を約束し、社員が負担しなければならないリスクに報いる必要があることがわかる。つまり、10万円もらえば努力をする意思のある社員に平均的に10万円以上の昇給を約束することになる。
それでは、社員にリスク分を補填すればすべて解決したかというと、そうではない。例えばこの例で、社員は努力したときに確率50%で30万円もらえるならば、努力してもよいと考えているとしよう。そして、会社の追加利益は、100万円ではなく、25万円であったとしよう。
もし社員の努力が観察可能であったならば、努力したら10万円はらうという約束をすれば、社員は努力してその結果50%の確率で25万円の利益が上がるから、10万円余計に給与を払っても平均的には会社には利益がある。ところが、努力が観察可能でないときには成果主義で昇給させざるを得ないから、成果が出たあかつきには30万円しはらわなければならない。つまり、会社にとっては努力をさせるインセンティブを与えないほうが良いのである。まとめると、もし努力が観測可能であったならば、つまりモラル・ハザード問題が存在しなければ、会社は社員に努力をさせて業績を伸ばすことができる。しかし、モラル・ハザード問題のために、会社は業績を伸ばせないのである。