インセンティブ契約がモラル・ハザードの解消に役立つためには、どのような成果を選ぶか、それをどう評価するかが大きな問題となる。前述のように、成果を客観的に評価可能なものでなくてないが、観測可能な成果ならば、何でも効果的なインセンティブ契約に結び付くというわけではない。野球やサッカーなどのプロチームスポーツのインセンティブ契約を考えみよう。
ホームラン1本につきいくらという直接的なものから、翌年の契約交渉のための評価基準になる数々の指標があって、選手はそれらの指標に成果を出すことで翌年の給与をあげることができるのだが、その指標の選び方や基準のとり方によって、明らかにインセンティブ契約の効果は大きく異なってくる。もし翌年の給与が自分の入れたゴールの数だけで決まるとすれば、プロのサッカーはゲームとして成り立たなくなるだろう。
子供に勉強をさせるために、本を読んだり、テストでよい点をとるという成果に対して、金銭や物によるインセンティブを与えると、確かに読書の量は増え、テストの点は上がるという意味での効果がある。しかし、これらのインセンティブ契約によって、子供の意識の中には見かけの上だけで本を読んだり、テストで点をとるということが目標になるから、かえって読書や学ぶことを楽しまなくなるような危険性に注意しなければならない。成果はそれ自体が目標ではないから、報酬を対応させる成果の選択には注意が必要なのである。
年度末になると、予算を消化するべく各所で道路工事が急に行われたりするのは、今に始まったことではない。工事に限らず、年度末の予算消化合戦は数多くの大組織で行われるが、これはある種の成果主義の結果なのである。例えば、単年度予算が基本の場合、その年に獲得した予算がどれだけ消化されたかということが見える成果として評価され、翌年度以降の予算配分に反映される。
この成果主義体系の下では、何が何でも獲得した予算を消化するのが最善であることは、それほど戦略的思考に富んでいなくてもわかる。予算の消化は確かに見える成果であるが、望ましい行動との関連は定かではない。これらの例からわかることは、客観的に測りうるということを強調しすぎて、本当にすべき行動との連動という肝心の部分を忘れてはならないということだ。
しかし、目標となる行動と連動するものを、客観的に評価するというのは実際には難題だ。スポーツの世界ならば、まだしもゴールの数とか三振の数であるとか、勝利への貢献とほぼ連動していると思われる指標があるが、仕事の上での努力のインセンティブとなると、どこからどこまでが個人の成果であるかを測るのはむずかしい。成果主義給与制度体系の一部として、社内フリーエージェント(FA)制度を採り入れる企業が増えている。オリンパス光学工業では自分がやりたい仕事が他の部署にあれば、上司の承認の上で社内ネットワークに登録して求職できる。
三洋電機では、ある部署に2年以上在籍した管理職で、現在の部署の仕事や年俸に不満がある場合、人事部に希望の年俸を明示して、FA宣言することができる。人事部はその情報を社内で公表し、その社員を欲しいと考える部署がFA宣言した社員と交渉する。これらのFA制度のポイントは、社員がした仕事や能力の社内での価値が、市場原理によって決まってくるという点である。
つまり、会社のためになる成果は、自然に他の部署から求められるから価値が高くなる一方、誰でも出せるような成果は自然に価値が下がるであろう。つまり、社内FA制度は、努力と成果を客観的かつ効果的に測ろうとする手段なのだ。何らかの形で年功序列制度を廃止しようとしているなか、大企業の3%がFA制度を導入しているというのは、成果が客観的に測定できるというメリットにあるようだ。