モラル・ハザード{その1 見えない行動をどう制御するか}

 

モラル・ハザード(moral hazard)という言葉がメディアでよく使われはじめたのは、バブル経済崩壊で経営に苦しむ銀行への公的資金投入が議論されはじめた頃だろうか。銀行経営の文脈では、モラル・ハザードは経営倫理の欠如と訳されている。つまり、経営者みずからの経営判断の誤りで経営が行き詰まったものを安易に許してしまうと、ゆるされることを前提にした放漫経営がなされる、それは経営者の倫理(モラル)の欠如によるものであるというものである。

モラル・ハザードという言葉も、逆選択と同様にもとは保険業界用語である。保険金支払いの金額が大きい自動車保険に加入した人は、そうでない場合よりも運転に注意を払わないかもしれない。自動車の盗難保険に入った人は、そうでない場合よりも自分の車を駐車する場合に気を使わないかもしれない。したがって、保険会社としては、被保険者は加入後により不注意になるということを考慮に入れて保険を高くせざるを得なくなり、最悪の場合には、保険という仕組み自体が成り立たなくなってしまう危機的状況になるだろう。

つまり、保険そのものが、無理な運転をしたりする反道徳的な行為を引き出すのである。この文脈でモラル・ハザードは「道徳的危機」と訳されている。日本語の語感としては妙なものではあるが。しかしながら、これらの問題の本質は、必ずしも人々のもつ道徳や倫理にあるのではない。モラルという言葉を一人歩きさせて、経済問題を倫理あるいは道徳の問題にすりかえてしまってはならない。

保険に加入した人が、保険をかけたという安心感から不注意になる行動は決して悪意のあるものではない。戦略的思考の言葉では、モラル・ハザードの問題とは次のように理解できる。スクリーニングや逆選択が、相手の好みや性質がわからなかったとき、相手の行動を観察してその裏に潜む情報を探らざるを得なかったことから生じる問題であるのに対して、モラル・ハザードは相手の好みや性質をわかっていても、相手の行動が観察できないために生じる問題である。

相手の行動が観察できないことで、不利益が生じる道筋は次のとおりである。ある行動にコミットしてもらうことが利益にかなうならば、コミットするに十分なインセンティブを与える取り決めをあらかじめ結んでおけばよい。ところが、コミットしたとおりの行動をしたかどうかがわからないときには、見えない行動に対して支払いするようなインセンティブ契約は機能しない。

ある行動にコミットさせることができれば双方に利益のある取引が可能な時に、その行動の検証が難しいために双方の利益が実現しなくなる、あるいすは非効率な行動をとらざるを得なくなってしまう状況が、モラル・ハザードの問題なのである。モラル・ハザードの問題は非常に戦略的な問題であって、戦略的な考え方をもって理解すべきである。経営者が「モラル」に反する行為をしたとすれば、そうするインセンティブがあったからだと考えるべきである。

つまり、問題の本質は、経営者がそのような行為を採用するようなインセンティブの構造を変えない限りは、問題は繰り返し起こるであろう。モラル・ハザードの問題は、戦略的環境における情報とインセンティブの問題であって、銀行やゼネコンの経営の問題はその応用の一つに過ぎない。問題の源泉を倫理観や道徳観に帰着させて、経営者に座禅をくませたり、過去の偉人の書物や言葉を勉強させても何も解決しない。

そもそも、社会経済問題を倫理とか習慣の問題と理解し、そこにとどまるのは危険な思想である。表層的な正義感や倫理観が歴史上のさまざまな差別や誤りを正当化してきたことを忘れてはならない。まだまだ未開発な部分はあるものの、これらのモラル・ハザードの問題を軽減できる可能性を持っているのは、やはり契約である。なぜならば、契約という仕組みが考え出されたルーツは、ほかならぬモラル・ハザードを潜在的リスク解消・低減にあったものともいえるからである。