モラル・ハザードの問題解決には、何らかのインセンティブ契約を考え、観測可能でない行動をとるインセンティブを相手に与えることが有効である。しかし、相手にしてほしい行動は、直接は観測することができないので、行動をとれば対価を払うという約束・契約がその行動をするインセンティブ与えることは期待できない。インセンティブ契約が評価の対象とする成果は観測可能なものでなければならないが、かならずしも成果それ自体が相手に達成してほしいこうどうではない点に、問題の難しさがある。
ここで前の2つのシナリオに戻ろう。学生に与えるビールの本数を変えて学生へのインセンティブの強度を変えても、おそらくモラル・ハザードの問題は解決しない。約束のビールが何本になろうが、散歩をさせることが観測できるようになるわけではない。ここでは、ビールを何本もらえるかというインセンティブの強度に問題があるのではなくて、「散歩をさせる」という観測不能な事柄に応じて支払われるビールが、散歩を指せるためのインセンティブとして働かないところに問題があるのである。
約束や契約が、本人にしかわからない行動をとるインセンティブを与えるためには、対価の支払いが何かお互いに観測可能な「見える成果」に応じて行われるものでなくてはならないのだ。犬を散歩させてほしいのならば、一例として家に帰ってきたときに、学生と一緒にいる場所で犬を外に出し、犬が散歩したがらずにすたすた家に戻ったらビールをあげると約束すべきである。
この約束の例で重要な点が3つある。第一に、犬が家に戻るかどうかは、学生と一緒に確認することを約束しなければならないということ。なぜなら、犬が家に戻るかどうかをあなたが確認したかどうかは、学生にとっては観測可能でないので、今度はあなたにもモラル・ハザードが生じるからだ。「見える成果」は、当事者に共通に観測可能でなければならない。
テストで高い点数をとるのが、学生の勉強の目的ではない。またここだけの話だが、日常的に試験を行って成績をつけている先生にとっても、試験は何をテストしているのかをはっきり理解しているかどうか疑問である。しかし、テストの点数は共通に観測可能であり、そしてその点数は学生の努力と連動している可能性が高い。そのため、テストで80点以上とればファイナル・ファンタジーを買ってあげる、あるいはテストで50点とれなければ単位を与えないというのは、モラル・ハザード解決のためのインセンティブ契約になっている。
ところが、がんばって勉強すればファイナル・ファンタジーを買ってあげる、あるいは努力した学生には単位を与えるというのではインセンティブ契約として機能せず、モラル・ハザードの解消に役立たない。テストのために「頑張った」ことや「努力した」ことは、学生にとっては紛れもない事実であるかもしれないが、当事者間で共通には観測可能ではないからである。
自分の都合の悪いことは隠したがるし、成し遂げたことを自慢したがるのは自然な感情である。成果に対して報酬が連動しても、その成果が十分に観測可能でないならば、報酬の上がる好ましい成果は積極的に公開するインセンティブが上がるが、悪い成果の情報を公開するインセンティブが生まれにくい。言い換えると、十分に観測可能でない成果に連動して報酬を決めるインセンティブ契約を結んでしまうと、都合のよい情報ばかり報告されることになる。
第二に、ビールを報酬として与える判断基準になるのは、犬が散歩したがらないということではなく、犬が家に戻るかどうかという点である。あなたには犬はまだ散歩したがっているように見えても、学生にはそうは見えないかもしれない。さらには、犬が散歩したがっていなければビールをもらえるという契約にすると、どのように見えても、学生には犬は散歩をしたがっていないと主張するインセンティブが生じることに気をつけなければならない。また、もし犬が散歩したがっているかどうかはあなたの判断で決まるという約束ならば、学生は無料で働かされるのを恐れて、散歩させないかもしれない。