商品を販売する場合、相手にあった品物を薦めるのが基本である。男性に、婦人用の洋服を薦めるのは、多くの場合意味をなさない。たいていの女性は、人気ゲーム、ファイナル・ファンタジーの攻略本のすばらしさを説明されるよりは、宝石売場を教えてもらうほうが有益だと感じるであろう。少し下腹の出てきた中年男性には、ラーメンの大食い大会よりは、きれいな女性インストラクターの揃ったスポーツ・ジムを薦めてあげたほうが効果がある。
このように、相手の姿形ちを観察することで相手の欲しがるものを察し販売に役立てることのできる機会は数多いし、われわれの生活の間中でも日常的におこることである。性別や年齢、姿かたちで表されている買い手の趣味は、買い手にすでに備わってしまっているものである。相手に自分の趣味嗜好を伝える合図に当たる性別や年齢容姿は、必ずしも戦略的に選ばれているわけではない。
ところが、場合によっては、戦略的に相手にシグナル(合図)を送り、それによって自分の立場をより好ましいものにしようとする戦略的行動が効果を持つ。そのような戦略的行動をシグナリングという。そのような戦略的シグナリングの例は、日常的に観察されているものに数多くあるのだが、それらの例においてシグナリングの効果が、なぜ、どのように、現れているのかを深く考えるためには、戦略的思考が必要である。
例えば、車を運転していて、自分が左折(あるいは右折)しようとしているのかを、対向車あるいは後続車に合図する(シグナルを出す)ことで、相手がそれを受けて対応するので、交通事故防止に役立っている。また、ルールとして確立されているものばかりではなく、緊急事態が生じたときで、自分がどういう状態に置かれていて、どのようにしてもらいたいかを意思表示することは自分の身を守る点からも必要である。
学校内でのいじめの場合は、なかなか声を上げられないという現実は容易に想像できるが、いじめにより追い詰められているのに、周りの人や両親までその事実に気がつかないため、自殺することを選ぶという痛ましい事件も、戦略的にシグナルを送ることで、最悪の事態は避けられたのではないかと思われる。もちろん、悲しみのあまり思考力が低下してしまい、戦略的に思考することなどできなくなっているという見方もあるだろう。
しかし、誰に向かってどのようなメッセージを送るかという問題と捉えれば、必ずしも死に直結するという結末に至らないことも多かったはずで、自分の意志を遺書などで残すくらいなら、もっと別の方法で思いを伝えることを考えるべきである。ゲーム理論は確かに万能ではないかもしれないが、少なくともいじめに関する問題は、相手の嫌がらせに対してどう反応するかという交互ゲームとみれば、最善ではないが最悪でもない打ち手は必ず存在するはずだ。その際の突破口となるのがシグナリングである。
子どもたちの間のいじめの場合は、多勢に無勢という構図が一般的なような気がする。私が小学生の時もやはりいじめはあった。その時、いじめに遭っていた一人の少年が採った行動は、決して好ましいものではなかったが、一気に形成を逆転させ、見事にいじめを解消した。その方法というのは、いじめの主犯格となっていた同級生1人に対して、執拗に報復攻撃を仕掛けたのである。
その報復の方法はすさまじく、まるで蛇ににらまれたカエルのようで、下手に手を出すと自分も同じような報復に遭うのではと驚愕するくらいのすごさであった。幼かった私には、そこまでやらなくてもよさそうなものと当時は思った。しかし、今までいじられぱなしの少年にしてみれば、中途半端な反撃では、返り討ちに遭い、より一層いじめがひどくなると感じたのだろう。この行動が功を奏し、主犯格の少年は土下座をしてお詫びし、二度といじめなどしないと約束をした。今にして思えば、この報復はたのいじめ仲間に対する見せしめであり、「あいつを怒らせると大変だぞ!」ということを知らしめるシグナルであった。