ロック・イン{その3 ロック・インと情報}

 

情報が少ないときにも、偶然のロック・インは起こりやすい。効果の不明ないくつかの選択肢のうちのひとつを選ばざるを得ない状況では、初めに選ばれるものは特段の理由はなく、選ばれた方はほぼ偶然に近い。ところが、たまたま選択したものであっても、それを使い慣れてくるとその効果は次第にわかってくる。そうなったときには、いまだ効果のはっきりしないその他の選択肢に行動を変更するのにはリスクがあるから、行動の変更へのインセンティブが薄れてしまうのである。

道路の渋滞に業を煮やしていると、数台前の車が突然左折する。カーナビを備えているのか、それとも地元の車なのかわからないが、おそらく脇道があることを知っているのではないかと予想して、先頭の車が見事に渋滞の先へ迂回できればそのドライバーはヒーローになるわけだが、このような時には往々にして最初の車が左折した理由は単なるドライバーの短気であったりするのだ。数台の車の一団はしばらくするうちに事態の深刻さに気づくのだが、いまさら元の道に戻るのもばからしくなって、夜の田んぼ道をしばらく迷走することになる。

飲食店が開店したてのときに、とにかく客に来てもらう努力をするのには、偶然のロック・インを味方につけるという戦略的意義がある。開店記念の割引券を各所で配っているのは偶然ではない。また、行列のできている店で、自分も食べてみたいという欲求が起こるのは、追従して道に迷ってしまう車の状況とそう変わりはない。そのため、さくらを使ってでも店に人をあふれさせる戦略も有効になってくるのである。

企業が新製品のコマーシャルの質や量にこだわるのも、偶然のロック・インを敵に回さない戦略の一部なのである。このような情報の欠如からくるロック・インの効果を評価するのは難しい。もしその偶然が起こらず、はじめに他の行動を自分がしていたらという仮想状況との比較をすることが要求されるからだ。田んぼを迷走させられた車の運転手は腹を立てるであろうが、一方で渋滞にそのままいつづけたらどうなっていていたのか知る由もないので、はたしてロック・インによってどれだけ自分が被害を被ったかどうかを判断する難しいところである。

人の出会いというのは不思議なものである。知り合った相手と「運命の糸で結ばれていた」と考えるのは、ロマンチックであるが戦略的思考の発想ではない。毎日違った人と知り合ってみれば、10年間で知り合えるのは高々4000人程度であるから、少し冷静になって考えてみれば、同年齢の異性に限っても100万人近くいるわが国で、たまたま知り合う相手というのは偶然の産物と結論せざるを得ない。

「運命の糸」は、情報が少ないために生じる、相手を変えることにかかわるスイッチング・コストを暗示したものと考えるのが順当であって、戦略的思考の立場から言い直せば、偶然に知り合った相手と「運命の糸で結ばれてしまった」というのが正確な表現である。これだけの人がいる社会でどのような人と結婚するかは、歴史的偶然の役割が大きいロック・インであるはずだが、他の選択肢を少々試して、現在の選択肢を再評価するという戦略はあまり好意を持って受け入れられていないようだ。

しかし、これに関しても情報量が大きくなれば、それだけスイッチング・コストは減少し、ロック・インの力も弱くなる。情報の氾濫と非婚・離婚の増加は無関係ではない。2000年から2001年にかけてヨーロッパ(特にイギリス)で大流行した口蹄疫により、肉の値段が高騰したことはそれほど昔のことではない。口蹄疫は1914年に北アメリカでも大流行したが、一説によるとこのときの口蹄疫の流行が、現在の自家用車にガソリンエンジンが搭載されるきっかけになったという。

というのも、当時は上気エンジンも自家用車の動力として使われていたが、口蹄疫の流行を防ぐために馬用の水桶が撤去されてしまい、水道の普及が都市部にとどまっていた当時では、蒸気エンジンを搭載する車は動力源の水の補給を断たれて、たいそうつかいにくいものになってしまった。そのため、水を必要としないガソリンエンジンの研究開発が盛んにおこなわれたというのである。もし歴史が別の道をたどり、蒸気エンジンの研究開発が主流になっていたら、小型の蒸気エンジンが開発されていたかもしれない。