人々の行動を裏づけるものとして、必ずインセンティブがあるということは、人の行動からその人が本当に考えていることを判断するときに、行動へのインセンティブから考察すべきだということも示唆する。セルフ給油のスタンドが解禁になってしばらくたつが、やたらボンネットを開けて点検したがる給油所は今もある。確かに点検は無料であるから、ありがたい。しかし、エンジンオイルが足りませんとか、だいぶ汚れているので交換した方がいいですよ。ちょうど今キャンペーン中なので格安で交換できますなどと言ってくる。
しかし、インセンティブを考えるとそう感心してばかりいられない。彼らには、交換不要の部品まで交換させるインセンティブがあるからだ。まだ使える部品を交換しても、車の状態が悪くなることはまずありえないし、交換後に交換済みの古い部品を持ち帰って検査する客もめったにいないから、少しでも古くなっていたら交換させてしまうほうが儲かるからである。
病院での治療にも似たようなインセンティブがある。病院が薬も販売すると、症状の軽い患者は、車の部品交換と同じ理屈で、なるべく効き目の穏やかな薬を大量に買わせるインセンティブが生じる。病院は薬を販売せずに医師の処方箋をもって薬局で薬を買う方式では、薬局にわざわざ足を運ばされる患者は二度手間になるから不便であるが、このインセンティブの問題を考えれば薬剤費の圧縮につながることが予想される。
会議の席で、「〇〇制度には問題があるから見直さなければいけない。改革の機運が高まっている」、「△△が行われることで、みんなが便利になったと喜んでいる。このままつづけるべきだ」、「××には不満の声が国民から上がっている」などという型の発言を聞いたことはないだろうか。このような型の意見には注意が必要である。主張を支える土台は「機運が高まっている」、「みんなが喜んでいる」という点であるが、肝心の機運の高まりはどこで観測されるのか、喜んでいるみんなはどこにいるのかさっぱりわからない。
1億以上の人がいて1人も不満の声をあげていないなどということは奇跡よりも難しい。これらは「改革の機運が高まっていると私は想像している」、「みんなが喜んでいると私は想像している」、「俺は不満だよ」が文章の正確な意味であると認識すべきである。いずれにせよ確実なのは発信者本人がそう考えているという点であるから、さらに掘り下げてなぜそのような発言をするのか、発信のインセンティブを考えるとよい。
発信が「みんな」という言葉に潜ませようとしている裏づけのない客観性にだまされてはならない。「みんなもっているんだからアタシにも買ってよ」などと言われて物品購入に合意するのは戦略的思考不足である。「みんな」にあたる人の数がどれだけ大きいのかとても怪しい。最も親は、子供のこうしたインセンティブに弱いことは今も昔も殆ど変わっていないところをみると、戦略的思考力の問題ではないのかもしれない。
路上でティシュペーパーを配ったり、住宅ローンの金利を下げたりする場合のインセンティブわかりやすい。国家間の外交交渉などでは、どのようなお魅惑が潜んでいるのかわかりにくいこともある。しかし、翻って考えてみると、交渉事には大なり小なり、誘因と貢献のバランスがあるはずなので、相手の真意を見抜くヒントは必ず存在するはずであるから、提示されたインセンティブをロジックツリーでMECEに分析すれば、お互いの利害が把握できる可能性は高まる。
そうはいうものの、実際にはなかなか真意が掴みにくいということは多い。例えば、政治家が人の役に立ちたいと思えば、まず、選挙で当選することが不可欠であるから、有権者にアピールするインセンティブが働く。ところが、本当は議員になりたかっただけで、人の役に立つというのは、自分に投票することをPRする手段に過ぎなかったと思われることはよくある。しかしこの場合、一有権者である自分が戦略的思考で候補者の真実を見抜いたとしても多数の有権者が世間の評判などに迎合すれば、たちまち掻き消されてしまう。