経済問題で重要になるインセンティブには、大きく分けて価格・金銭によるインセンティブ、法律や制度によるインセンティブ、あるいは習慣や宗教によるインセンティブに分類できる。価格・金銭・物によるインセンティブは、その働きが一番はっきりしている。われわれの行動は金や物にすぐに影響されるからだ。買おうかどうか迷っている洋服が、ある日みるとバーゲンで安くなっているから、思わず買ってしまった。
早い話、安くなったから買った、というわけだが、これは、価格のインセンティブが働いた、あるいは価格が下がったことにより、買うインセンティブが増した、などと表現される。価格が上がれば、それだけ買うインセンティブが減少する。単純明快である。新築マンションを見学に行くと、お土産をくれたりする。たいしたものではないが、ない場合に較べればちょっと見に行こうかという気持ちは増えるであろう。
お土産が見学に行くためのインセンティブになっていたのである。法律や制度によるインセンティブは、法律によってある行動をさせようとするものである。これは一見楽に実施できそうだが、そうではない。効果的な罰則がないと、インセンティブとして機能しないからである。罰則を運用するコストを考えれば、法律によるインセンティブが優れているとは言えないからである。
殺人などの場合は、モラルの問題も考慮すべきであろうが、それにしても、もし仮に法律で殺人をしてはならないと規定しているだけで、殺人に対する罰則規定がなければ、はたして社会が成り立つものだろうか。また、駐車違反をしないのは、交通モラルが優れているからでもなければ、道路交通法の趣旨を理解しているからでもない。単に駐車違反により罰金を支払わなければならなくため、違法駐車を思いとどまらせるインセンティブが働いているわけである。
この場合の法律の役割は、違反者に金銭的インセンティブ(罰金)を与えることによって、人々の行動をコントロールしようとするものである。刑事事件の場合は、インセンティブは懲役の形で与えられるものである。いずれにせよ、法律とはインセンティブの関係を考慮して作られなければならないものなのだ。世の中には金を与えて解決することを嫌う風潮があるが、法律によるインセンティブ自体、金で解決する部分がなければ機能しないことを忘れてはならない。
例えば、昨今話題の司法取引なども、考え方の違いによって導入の評価が分かれている。司法取引に反対する人たちの意見は、犯罪人の持っている情報と、その人が本来負担すべき罰を取引によって交換するというやり方は、あまりにも短絡的で容認できないというものだ。しかし、一方の賛成派の意見は、そもそも立法の趣旨を考えればわかるように、社会秩序の安定である。そのためには、事件を速やかに解決することであるから、司法取引は合理的であり、費用の節約にも寄与することになる。
習慣や宗教によるインセンティブは、一旦動き始めるとコストもかからず重宝であるが、必ずしも合理的には機能しないのが問題である。たいていの宗教は殺人を禁じていて、殺人をしたものは神様が罰してくれることになっている。信者が神の罰を恐れるため、あるいは神の意志を尊重するために、宗教が殺人を犯さないためのインセンティブとして機能している。
神様が与える罰則を機能させるためには牢獄さえ必要ないため、われわれ人間が費やさなければならない費用はそれほど大きくない。したがって、この場合には宗教によるインセンティブは非常に効率的だったといえる。残念ながら、罰則は宗教の違う人々を殺害した場合には必ずしも当てはまらないらしいので、宗教の力を過信するのは危険であるという結論になる。