インセンティブ{その6 インセンティブを与える工夫(2)}

 

猛犬注意の張り紙は、犬がいれば効果はあるので飼い犬が本当に猛犬である必要はない。金融機関や公共機関、コンビニなどには、警察官立寄所というスティカーが貼ってある。実際に立ち寄っているのを見かけたことはないという人も多いと思わるが、犯罪を冒すことを思いとどまるインセンティブを与えようとするものであるが、実際に悪いことが起こる確率を相手に過大評価してもらうことにより、インセンティブを与えるのにかかるコストを削減する努力の表われである。

しかし、それらの過大評価作戦は必ずしも、いつもうまくいくとは限らない。手馴れた泥棒は猛犬に注意の貼り紙の本当の意味をよく知っているし、警察官立寄所やセコムのロゴをまねしたスティカーを貼っておけば、ある程度の効果はあるかもしれないが、無断借用で訴えられる可能性があるのでやめた方がいい。こうしたから脅しは、かえって実際には無防備であることを知らせてしまい逆効果になることもある。

理屈の上では、罰則からくる損失あるいは与えられるご褒美からの利益を大きくすればするほど、罰則を与える確率やご褒美を与える確率を小さくできるはずだが、これにも限度というものがある。罰則をあまりに大きくすると、万が一誤って罰則を与えた場合の損失が大きくなることも意味するから、小さな誤りがたいへんな帰結を招きかねないことになる。

ゴミの投げ捨てに対しても無期懲役くらいの刑に処することにすれば、ゴミ捨てを摘発する確率が相当低くても効果がある理屈だが、うっかり風で飛ばされてしまったゴミ屑がたまたま見つけられた場合にも一生牢屋に入るのではたまらない。罰則の大きさはほどほどにしておかないと、間違いに対して非常に脆弱なものになってしまう可能性があるのだ。

また、人にはあまり小さな確率は無視してしまう傾向がある。例えば、私たちはほんの数年前に東日本大震災を経験した。翌年の3月11日に行われた防災訓練にはある程度の参加者はあったが、近年はほとんど参加者がいない。千年に1度とも言われる大地震がそう簡単にまた起こるとは、誰も考えていないからだ。こうした場合、防災訓練の参加者に何か大きなご褒美をあげるという強烈なインセンティブを与えれば、確実に参加者はあえるだろう。

ご褒美を全く与えないと、相手(この場合は住民)の想定する確率は低下し続け、そのうちに無視されるようになってしまってインセンティブの強度は弱まる。したがって、ご褒美は小出しにしてはじめに少しだけ与え相手に大きな期待(不安)を抱かせておいて、その後はご褒美を時々もらえるということを相手に納得させつづけるのがこの戦略の要点である。

はじめはよくかかってきた電話の回数がしだいに減ったり、釣った魚に餌をやらなかったりするのも理に適っているし、忘れたころにひょいと花束なんぞ買って持って行ってみるとインセンティブの強度を劇的に上げる効果があるのも、理由があることである。このように、インセンティブとは、物質的な欲望を刺激するにとどまらず、心理的・精神的意味における刺激という意味での活用にも工夫に値する。

トヨタのPRIUSがアメリカで人気なのも、車本来の機能を評価しているというよりは、この車を購入したことで、地球温暖化防止に貢献していることをアピールできるというインセンティブに呼応したところも大きい。この場合、インセンティブの強さと購入価格あるいは燃費の節約などを費用対効果で測定し、利益を算出しているわけではない。これからの社会、こうしたインセンティブの強さがビジネスの優劣を左右するかもしれない。