動機づけの研究{その2 中世の著述家が描いた「動機づけ」のプロセス}

 

聖アウグスティヌスやトマス・アキィナスのような中世の思想家は、動機づけ理論に宗教への大きな関心を持ち込んだ。聖、ウグスティヌスは、人間の行動における自由意志という概念の基礎を確立しようとした。人間世界の悪は神の責任ではないことを示そうとしたのである。古代ギリシャの思想家たちと同じように、ウグスティヌスは人間の行動を、美術や高潔な精神の力と、欲望や情熱の力が、知性や理性の介在によって作用しあう結果としてとらえようとした。

しかし、ギリシャ人とは違って、彼は「自由意志による不道徳な行為」の可能性を示唆した。人間は紛れもない知性の働きの結果として不道徳な行動を撰ぶ可能性があり、情熱に任せ、束の間の快楽と誘惑に屈することを自由に決めるということだ。トマス・アクィナスはその著作の中で、人間の動機づけについて最も複雑で詳細にわたる説明をしている。彼は、心理的な力がどのようなプロセスで意図的な行動に影響を及ぼすかについて、明快な見解を示して見せた。

そのプロセスは、人の意志が個人としての目標を定めるときに始まる。アクィナスは、人間の意志は根本的に優れたもの求める方向に向かうと考えていた。心に何らかの目標を定めたときから、知的な検討プロセスが始まり、その目標に到達するための計画が練られる。知性による判断でとるべき行動が決められ、それを実行に移した結果は、高潔な意思による達成の喜びとして経験される。

アクィナスは、人間の心理には情熱の力が働いていると考えた。そして、これらの力は追求ではない行動にも向けられることがあると認識した。しかし、アウグスティヌスとは違って、彼は人間を根本的に善なるものだとみなし、適切に機能している限り、情熱の力が完全に知性の力を圧倒することは無いと信じた。したがって、悪意ある行動はアクィナスにとっては精神的な機能不全の状態であり、それによってはじめて「異常の心理」という概念を示した。

古代人、その中でも特にアリストテレスは、原因と結果に注目し、人間の行動を、それ以前に何が起きたかとう観点から考え、現在の行動を説明しようとした(作用因)と、人間の行動をそれがもたらす結果という観点から、将来何が起こって欲しいかという先のことに目を向ける考え方を示した。そこには道徳・不道徳という区別はなく、純粋に原因と結果、または、目的とその達成を目指した行動という、まさに現代の動機づけ理論の考え方の原形を見ることができる。

ところが、中世の著述家・聖アウグスティヌスやトマス・アクィナス等の動機づけの議論は、宗教への関心を持ち込み、特に聖アウグスティヌスは、人間の行動は「自由意志による不道徳な行為」の可能性にまで言及している。また、アクィナスは、人間の意志は根本的に優れたものを求める方向に向かうというと考え、心に何らかの目標を定めたときから、知的な検討プロセスが始まるとしている。つまり、この両者の動機づけ理論には、宗教的な背景があり、特に人間の行動における善と悪を強く意識しているのが特徴となっている。