カリスマ的リーダーシップ

 合法的支配による官僚制組織は、安定したトレンドで右肩あがり環境が変化している状況では、それなりに機能するが、現在のように環境変化が激しい状況においては機能不全に陥ることがある。こうした場合に、救世主として登場するのがカリスマである。といっても、誰がカリスマかということが事前に明確にされているわけではないのが通例である。

 すなわち、従来の路線を踏襲する組織体制では立ち行かなくなったとき、そうした閉塞状況を打開できる人材が求められるが、その時にタイミングよく登場し、一定の成果を収めると、周囲からカリスマという評価を得ることになる。つまり、まず、カリスマありきではなく、現状打破に成功したことがカリスマ的リーダーとして信奉されるわけである。

 しかし、そのカリスマもどんな状況下でも有効なリーダーシップが発揮できるわけではないことは周知のとおりである。逆に言えば、環境変化に遭遇し、そこで組織変革に貢献できるチャンスが与えられ、それを見事に達成できたリーダーが、他のメンバーや周囲から信奉されるようになり、カリスマが誕生するというプロセスを辿るに過ぎないのである。

 社会心理学者マインドルの研究により、「景気が極端によかったときと悪かったときに、社会はリーダーシップに注目する」という現象を発見し、これをリーダーシップの幻想と名づけた。つまり、社会や組織、団体では、業績が上がれば、リーダーが賞賛され、悪くなればリーダーの責任だとやり玉に挙げる。スポーツチームの監督人事はこの典型である。

 このように考えると、カリスマなどというリーダーは、はじめから存在しないということにもなるが、一度でも好業績を上げたものを再び担ぎ出すという現象もよく目にする。ということは、リーダーの責任を追及するということと、実績を評価することとは別のようにも思える。つまり、カリスマは変化に対するワンポイントリリーフなのかもしれない。

 平常時においては、合法的支配や伝統的支配が望まれるため、カリスマは登場する場面が少ない。しかし、来るべきときには、必ずカリスマの登場が必要になる。その時には、過去において実績を積んだ人物にカリスマ的リーダーシップを期待せざるを得ない。こうした期待が大きいほど、資質を持ったカリスマ的リーダーが存在すると誤解してしまう。