昔の人もそうした心配はあったはずだが、だいたいの形が定まっていたため、自分の終末は予想ができた。そのため、ご先祖様を敬うという形で、自分の終末期の姿を予測してきたわけであるが、これは、それまでのしきたりが長年の伝統という形で、コーディネートされてきたため、動かしがたい風習として「家」の中に定着してきたことに由来する。
こうしたしきたりが定着したもう一つの背景は、「○○家代々の墓」に代表されるように、家父長制を前提とするものであったが、核家族化がますます進展する現在、「家」よりも「自分」を主役にした終末期を演出したいと願う人が増えている。それは、最早葬儀を豪華に演出するというレベルではなく、葬儀や埋葬そのものの考え方さえ大きく変化している。
夫とともに先祖伝来の墓に入ることを嫌う妻、生前葬や友人葬、海洋散骨、故人の遺骨をペンダントに納めて身に着ける「手元供養」など、新しい供養法も話題になっている。こうなると、ウェディングと同様に自分の終末期を演出してくれるエンディング・プランナーやアドバイザーなどの職業が必要になってきており、大企業もチャンスを窺っている。
また、終末期だけの問題だけではなく、「いかに老いと向き合うか」と言った心の準備も必要になってくる。私のような自由業は定年がないので、その点は気楽であるが、巷でよく聞かれるのは、「80まで現役、3日患ってころり」というのが理想であるなどと、理想とも冗談ともとれる会話である。しかし、その年に近づくとまた少し変わってくるようだ。
もちろん、どのように終末期を迎えるかには正解がなく、一人ひとりが自分で答えをみつけなければならない。そして、さらに問題なのは、「長生きした場合のコスト」という大きな問題も悩みの種である。リバースモゲージなどの金融商品もまだまだ改善の余地がありそうだが、それだけでは、長寿による生活困難や介護問題を解決する対策とはならない。