専門性よりも多様性

 

 新しいビジネスモデルを開発しようとするときも、まず、最初に専門家によるチームを編成することから始めるというのが定番になっている。過去のデータから未来を予測するような場合は、専門家ならではの意見が重視されるのは当然としても、それが最強のチーム編成であるかのように思い込んでしまっては、将来を先取りした意思決定はむずかしい。

 新製品を開発するに際して、消費者の目線を重視すべきだとう考え方が定着している。製品開発に関しても、以前は専門家によるプロジェクトチームにより検討されるケースが多かったが、実際に商品やサービスを使用・消費する立場で考えるのが、よりきめ細かな問題解決策が生まれるという考え方に変わったわけであるが、専門家の権威は健在である。

 近年は、ダイバーシティなる考え方が独り歩きして、高齢者や女性の活用が積極的に叫ばれているが、掛け声の大きさほどには浸透していないように思われる。本来の意味でダイバーシティを理解している企業は、高齢者や女性というように限定的には考えず、性別はもちろん、人種や年齢、キャリア、身体的特徴などあらゆる点で多様性を評価している。

 しかし、一度コーディネートされた社会的仕組みは、そう簡単には崩れることはなく、キャリアを積むにしたがって技能も高まり、それだけ問題解決力もますという考え方が根強く残っているためか、何か問題が発生すると専門家が招かれる。そこでは当然専門的な意見が飛び交うことになるが、創造力が育っていない専門家にはひらめきは期待できない。

 多様性をもった人々を集めたチームを作れば、チームの枠を超えて発想力を駆使することもできるので、例え斬新な問題解決策を打ち出すことができなかったとしても、問題を多様な捉え方をすることで、問題がどこにあるのかを共有することができる。こうした考え方は、従業員のキャリア形成にも活用されれば、幅広い発想力豊かな人材に育てられる。

 専門性が深くなることは、望まし事ではあるが、その分、経験則に支配され、硬直的な思考様式が定着する可能性が高くなる。しかし、このような経験者によって築き上げられてきた組織や社会は、どうしても革新的な発想を拒む傾向がある。こうした体質を温存させておきながら、一方では経営革新を叫ぶのでは、若い柔軟な発想力を無駄にしてしまう。