創造力とアイディア

 

 これまでアイディアを生み出す技法について言及してきたが、テクニックが全てではないことは明らかである。ジェームス・ウェブ・ヤングによれば、アイディアが作られる過程を5つのステップに分けて説明している。それは、「資料の収集→資料の咀嚼→問題を全て忘れること→アイディアが浮かんでくる→アイディアを現実の世界に連れ出す」である。

 他の説も、概ね同様の内容であり、その中でとりわけ重要視しているのが、最初の「資料の収集」であるが、その内容は大きく分けて2つある。すなわち、アイディアを生み出すために必要な情報と、その前提となる問題を明確に認識するために必要な情報である。アイディア発想法では、問題が既に把握さているという前提に立って技法が示されている。

 中小企業などでも、課題解決のためにアイディアを求められる会議は多いが、課題が上司から与えられ、会議に参加しているメンバーが、これを受けてブレーンストーミングを行うが、あまりいい結果を生み出せない。これはアイディア発想力が貧しいことに原因があるのではなく、問題の本質を捉えるための情報収集と分析が省略されていることによる。

 団結力や協働は必要であることは疑いないが、問題を上から押し付けられるのでは、共通認識を持つことは出来ない。こうした状況下では、問題解決のための情報収集もちぐはぐになり、せっかく出されたアイディアを組み立てることができなくなる。このような徒労に帰すような会議を何度繰り返しても、本質的な問題解決策を導き出すことは出来ない。

 ところで、ここで主題にしている創造力とアイディアとはどんな位置関係にあるのだろうか。通常は、アイディアは創造力の内数というイメージがある。例えば、アイディアマンというと、普通の人ではあるが、その中で時々きらりと閃くことがあり、周りの人から一目置かれているような人を指しているように思われるが、クリエイターはちょっと違う。

 クリエイターと呼ばれる人たちは、ひげを蓄え、髪は長く、服装も概ねラフで、見るからに芸術家や科学者のような風貌をしている。そして、保有する能力も、並みの人にははかり知ることができず、まるで人種が違うような印象がある。しかし、本当のところ、見た目や抱いているイメージほど、普通の人と違うのかどうは極めて疑わしいようである。