必要は発明の母

 

 アイディアの発想法を学んだとしても、直ちにアイディア発想の達人になれるわけではない。アイディア発想に関する勉強会などを開催すると、受講者は、アイディアの発想法を学びたいというよりは、アイディアそのものを求めて参加する場合が多い。すなわち、「いいアイディアがあったら教えてもらいたい」というのが直接の受講動機であるわけである。

 もちろん、そうした期待を抱かせるタイトルにしなければ、受講者が集まらないため、セミナーを主催する側としては苦肉の策なのかもしれないが、手放しでアイディアが見つかるようでは、アイディアの価値も「推して知るべし」である。ただし、アイディアが生まれた秘話を面白おかしく説明するだけといのもあるので、一概に受講者を責められない。

 しかし、「どこに行きたいのか」「何をしたのか」が解らない状態で、「どこに行けばいいのか教えてください」とか「何かいいことありませんか」というのでは、アドバイスをする側としても、ありきたりの回答をするしかない。一方、教養を身に着けるために学ぼうとしている人もいるが、やはり、アイディアの創出には、あまり結びつかないようである。

 こうしたことは、アイディアの発想に限ったことではない。例えば、社員の営業力強化セミナーなどでも同じことがいえる。上司から、営業成績が上がらないことを叱責され、「どうしたら怒鳴られないで済むのか」ということが動機の場合は、とりあえず、叱られることを回避することが目的なので、簡便に売り上げを増やせるようなマニュアルを欲しがる。

 一方、売り上げを増やすことは、上司の命令であることは勿論だが、自身の自己実現のためにキャリアアップを目指している社員にとっては、目的意識がはっきりしているので、受講態度そのものからして違う。こうした社員は、課題を抱えているので、これを解決しようとする意識が強く、そのための情報収集には常に気を配り、チャンスを窺っている。

 つまり、アイディアの発想について言うと、「誰のどんな問題を解決したいのか」を明確に認識していることが根底になければならないということである。問題があるから、解決が必要になり、そのための解決手法としてアイディアの発想法が必要になるのであり、優れた道具を手に入れさえすれば、問題が解決するわけではないことを認識すべきである。