アイディアは使ってみなければ意味がない

 

 自分の中で考え抜かれ、その後ねかされていたアイディアは、ある時突然目をさまし、それまでのもやもやが、まるで霧が晴れたようにはじける瞬間が訪れる。しかし、そのアイディアも活用されなければ、アイディアとしての価値がなく、初めからアイディアを発想したことも全く無意味なものになってしまう。まずは思い切って使ってみることである。

 世の中には、いろいろなタイプの人がいて、人がアイディアを出し、それが世間に受け入れられ賞賛されると、「本当は私の方が先に思いついたのに」などとぼやく人もいる。それなら、どうして最初に思いついたとき、自分のアイディアだと宣言し、活用してみなかったのかと言いたくなる。失敗を恐れるあまり躊躇したことへの後悔は後の祭りである。

 アイティアが浮かんだら、勇気をもって次のステップに向かって踏み出さなければ、こうした後悔は一生つづく。もしも、そのアイディアによって、企画が認められるようなことがあれば、さらに困難な課題にチャレンジしようと思うものである。これが欲求の五段階でいう自我の欲求や自己実現であり、殆ど人に当てはまるモチベーション原理である。

 アイディアというものは、「コロンブスの卵」に代表されるように、最初に思いつくことが大事なのではなく、最初に言い出すこと、あるいは最初に活用することに価値がある。それは、「特許制度」がどうして存在するかを考えてみれば一目瞭然であり、最初と二番目では、一二位の差ではなく、二番目以下は全くの無価値になる。それがアイディアである。

 すなわち、アイディアとは、極特殊なものを除けば、誰にでも発想できるものであるため、発想が素晴らしいというよりも、誰よりも最初に手に入れたことを証明することに意義あるということである。どんなに小さなアイディアでも、それを活用することにより、人に感謝され、認められた時の喜びは、はじめの一歩を踏み出してみなければ味わえない。

 自分には、アイディアを発想する能力がないなどという心理的な壁を作るのではなく、締切りに間に合わないと、他人に迷惑をかける、誰かを必死で助けたい、こういった思い入れによって、自分を追い込むようなプレッシャーをかけることにより、本気で取り組めるようになる。期限がないのは、アイディアを生み出す必要もないことと同じことである。