出来るだけ多くアイディアを出す

 

 多くの学者やアイディア発想法の開発者は、「アイディアを量産すること」を提唱している。日本でも昔から、「下手な鉄砲も数撃ちゃあたる」などという言葉があるように、ヒットするものが少ないのであれば、それだけ多くのアイディアが集まらなければ、本当に使えるものはなかなか見つからない。これは洋の東西を問わない理屈である言えそうである。

 しかし、実際にアイディアを出すように指示してみると、驚くほど少ないという現実に直面する。先日も、ある勉強会でワークショップを開き、この種の実習をしてみたところ、案の定というべきか、アイディアどころか言葉も出ないというお寒い状況であった。だからと言って、ここに参加したメンバー全員が、発想力に乏しいということではないはずだ。

 そこで、現実の問題がリアルに認識できるような事例を出してみた。それはメンバー全員が経験した「東日本大震災」についてであった。「津波で浸水して孤立した人々をどのようにして素早く救助するか」ということについて、アイディアを出してもなうことにした。すると、今までの沈黙がまるで嘘のように、色々なアイディアが飛び出し始めたのである。

 これは正しく学習効果の賜物である。すなわち、あの恐ろしい体験を通して、「防災体制を如何に整えておくべきか」、また、「あの時、家族や友人をどうして助けられなかったのか」といったことを散々考えさせられたことが、蘇ってきたからである。このように、問題を共有できていれば、アイディア発想力が多少劣っていたとしても、ほとんど関係ない。

 こうして、ウオーミングアップを終えたのち、本題に戻ったところ、最初の頃よりはアイディアを出せるようになったが、相変わらず、発想力が乏しいといわざるを得ない状況に戻ってしまった。しかし、少なくともメンバーの人格が変わってしまったわけではないことは確かなので、もう一度、別の角度から、ウオーミングアップを追加することにした。

 それは種も仕掛けもないことで、自分の仕事に関して常に考えていることをテーマに取り上げさせたのである。すると、今度こそ、常日頃考えている問題をテーマにして、アイディアが滑らかに出せるようになった。ここから得られたヒントは、「自分にはアイディア発想力がない」という心理的壁「自己成就的予言」を取除くことが鍵だということである。