アイディアは既存要素の組み合わせ

 

 アイディアとは何かというと、それは、アイディアは既存の要素を組み合わせることによって、これまでにない、あるいは、そう簡単には思いつきそうもない発想の成果ということになるであろう。このことについては、世界中の著名人が、異口同音に述べているので、敢えてこのことに異を唱える理由もなく、言ってしまえば当たり前の事だともいえる。

 しかし、この言い方自体に、ちょっとしたアイディアを感じてしまうから不思議である。まさにこうしたことが、そもそもアイディアというものかもしれない。つまり、それが当たり前だというのなら、誰でもそういえるはずであり、わざわざ著名人が改めて口にする価値もないことになるが、実際にはなかなか普通の人には簡単に言えない名言なのである。

 ただし、一旦アイディアとして認知されると、そのアイディアを基にして、さらに新しい発想が膨らみ、時には全く新しいものに見えるようなアイディアに変貌していく。例えば、コミュニケーションのツールとして開発された文字は、「絵」→「象形文字」→「文字」というように発展して、使いやすさが定着したことを考えれば、そのことが理解できる。

 今では、私たちは、先人が知恵を絞って開発したアイディアを、自分の中に昔から根づいていたかのように活用し、ほんの少しのアイディアを付加することで、製品やサービス、自分の処世術などをデザインしているに過ぎないのだが、一度開発されたアイディアは、誰でも共有できるわけであり、これを基に画期的なアイディアに仕上げるのも楽ではない。

 すなわち、新しいアイディアは、既存の要素の組み合わせであるとはいっても、そう簡単にアイディアが湧き出てくるものではないから、どの要素が使えるのか、それはどこから入手するのか、などを考えると、やはりいいアイディアだと誰もが認めるようなものを生み出すのは、柔軟な発想力と課題を設定する場合の「思い入れの強さ」が不可欠である。

 柔軟な発想力については、各種のアイディア発想法を活用することで、潜在力が刺激されるので、早期にある一定のレベルまで引き上げることは可能と思われるが、何故アイディアの開発が必要なのかが、曖昧である場合には、アイディアを生み出すことに対する動機が弱いので、情報を収集し、問題を咀嚼し、孵化を待つという熟成プロセスが整わない。