PDCAサイクルを回せない原因

 

 人間は経験から学び、模倣することで自分の中に一つのモデルを作り上げる。しかし、この段階では、ある程度の仮説と検証を繰り返してはいるものの、確信には至らず、その後もこの作用を繰り返して、確固たる概念を構築するに至るが、その後の学習と経験により、修正を加えていくことにもなるし、場合によっては大きく転換するということもある。

 こうした流れは、PDCAサイクルそのものであるにもかかわらず、組織的行動となると、PDCAサイクルを回す仕組みに馴染めないのはなぜなのだろうか。それは、ズバリ言って、建前論が先行して形式的なサイクルになりがちだからである。その最たるものが「予算・実績管理」である。つまり経営計画自体が有名無実化していることが原因である。

 経営計画の必要性については誰もが認識しているが、その中身となると、あるべき姿を定規に目標値を羅列するばかりで、それを達成させるための戦略には殆ど触れられていない。このように、数値目標だけを掲げただけの計画では、達成度を検証する意味がない。つまり、初めのプランがないわけであるから、実施のよりどころがないということである。

 こうした形式的な経営計画は、あるべき姿と現状のギャップさえ正確にとらえていないことが多いから、根拠あるデータに基づいた予測ができない。したがって達成が可能と思われる計画が立てられないということである。こうした状況に陥ったのも、もとはと言えば小まめにPDCAサイクルを回すという思考が欠けていたからだと言わざるを得ない。

 だからと言って、このままの状態を続けていては、経営資源は早晩枯渇してしまうことになる。抜本的な解決策を模索するよりも、まず、短サイクルの目標を仮設定して小さなPDCAサイクルを多少強引にでも回してみる決断をすべきである。そこでは、2つの原則により、経営者も含め社員全員が参加する仕組みを打ち出し、その真価を確かめてみる。

 その2つの原則とは、まず、第一に失敗や未達成を責めるという従来イメージしていた方式を捨て、「失敗や未達成は常にあり得る」という前提で進める方針を明らかにすることである。第二に、失敗や未達成をありのままに報告することを義務づける。つまり、過去を叱責するのではなく、失敗を踏まえて今後の方針を話し合うという形にすることである。