PDCAサイクルを回す意義

 

 最近は経営計画書を作成している企業も増えてきているようであるが、中身を見てみると、財務目標など形式要件が羅列されているといったものが多く、目標値は設定されているものの、それを達成するための具体的方策が盛り込まれてはいない。そのためか、達成度の検証(差異分析)もおざなりで、戦略や戦術を再構築する情報が全く把握されない。

 ましてや、経営計画が策定されていない企業は、PDCAサイクルを回すという概念自体が乏しく、「売れた原因」や「売れなかった原因」を把握してしないため、またぞろ、希望的な目標を掲げるだけの計画となり、社員全員が目標達成に対する意欲を持って取り組まなくなってしまう。つまり、PDCAサイクルではなく悪しき習慣が回るようになる。

 さすがにこうしたサイクルから抜け出そうという意識はあり、相談を受けることはあるが、大抵の場合、あらゆる提案は、拒絶されてしまうのが通例である。その原因は、やる気がないのではなく、挑戦するだけ無駄であるという固定観念があるからで、そうしたこう着状態を招いたのも、結局はPDCAサイクルを回すことを最初に怠ったからである。

 つい最近も同じようなことがあった。社長の説明を聞くと、社員の意識レベルが低く、どんなに指導しても一向にやる気を起こさず、設定した目標を達成することなど夢のまた夢であるという。しかし、第三者の私から見ると、こうした現状に立ち至ったのは至極当然であるように見える。それは一口に言うと、変化への対応力が退化してしまったからだ。

 つまり、PDCAサイクルを回すことにより、変化を予測し、戦略を練り直すという当たり前のことを怠ったため、市場の反応が変化していることに鈍感になり、在庫を抱えてしまい資金繰りがタイトになって初めて危機感を抱くようになったのである。こうなると、とりあえずの目標は、売上の回復より何より資金繰りを優先させなければならなくなる。

 当然のことながら、社員の士気はますます低下し、社長の号令もうつろに響くようになり、有能な社員ほど浮き足立ち、退職を願い出るタイミングを窺うようになる。こうした負のスパイラルに陥った原因が全て、PDCAサイクルを回さなかったことによるものとは言い切れないにしても、こうした思考様式が育っていなかったことと無関係ではない。