SMHのスウォッチに対する自立型モデル(その1)

 1970年代半ば、時計市場を支配していたスイスの時計産業は、ローエンド市場向けに設計された安価なクオーツ時計において、日本と香港の時計メーカーにより、マーケットリーダーの立場を奪われ、深刻な危機に曝されることとなった。スイスは、ミドルレンジおよびハイエンド市場向けに従来の機械式時計に集中し続けていたため手薄だったのである。
 アジアのライバル国は、スイスが得意としているこれらのセグメントについても脅かし始め、1980年代には、一握りの高級ブランドを除き、スイスの殆どのメーカーが崩壊の一歩手前まで追い込まれるほど、競争が激化してしまった。こうした最中、あのニコラスG.ハイエックが立ち上がり、SMH(後のスウォッチグループ)を引き継ぐこととなった。
 ハイエクは、経営難に陥っている二大時計メーカーにルーツを持つ企業群をまとめ、新しいグループへと再編成していった。ハイエックは、ロー、ミドル、高級市場の3つすべての市場セグメントにおいて、健全な成長を遂げるブランドをつくるための戦略を構想した。当時、スイスの時計メーカーは、高級時計の市場において97%のシェアを誇っていた。
 しかし、ミドルレンジの市場ではわずか3%、ローエンドでは参入さえできず、アジアのライバルの作る安価な時計に、セグメント全体を明け渡してしまっている状態だった。しかし、ローエンドで新しいブランドを立ち上げるというのは、あまりにも過激であり、投資家たちはSMHのミドル市場に向けたブランドであるTissotの売り上げを奪ってしまうのではないかという懸念を抱いた。
 戦略的な観点からみれば、同じ屋根の下で低コストと最高級のビジネスモデルを同居させることになり、多くの衝突とトレードオフを伴う判断であった。それにもかかわらず、ハイエックは、スウォッチの開発の引き金となったこの3層の戦略(40ドル前後から手に入る新しいタイプのスイス時計の開発)を主張した。その仕様は以下のようなものである。
 スイス品質を維持しながらも日本製品と対抗できる低価格を実現することであり、製品ラインを維持できるだけの十分な利益率と販売量を確保できることである。そのため技術者たちは製造方法の再考を迫られ、それでは伝統的な時計製造に関する知識は役立たないことになる。その結果、はるかに少ない部品で作られた時計づくりを目指すことになった。