経営革新計画書を策定する意図

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 物事には順序があり、何かを成し遂げようとするときは、頭の中で試行錯誤を繰り返しながら構想を練る。この段階では、まだ何をどうするかという手順が定まっていないので、一気に計画書にまとめることはできない。経営計画の策定も、当然こうしたプロセスを辿ることになるので、初めに計画書ありきというのは計画の体をなしていないことになる。
 環境変化に対応し、PDCAサイクルを回している企業は、常に小まめの経営革新を継続しいることになるので、特に意識しなくても、顧客の要求の変化に対応して組織をリフォームしているから、特に改まって経営革新計画と銘打たなくても、年次ごとに策定される経営計画自体が、顧客の優先事項の変化に対応するモデルとしてデザインされている。
 問題なのは、過去の成功体験に胡坐をかき、顧客の優先事項の変化に目を向けることなく、内向きの組織に固執している企業が、ふと気が付くと、顧客離れが進んでいることに驚愕し、何とかしなければと慌てふためいて、にわか作りの経営革新計画を策定する場合である。国は結構寛大で、こういう場合でも経営革新を奨励した助成策を用意している。
 企業の活力が低下し資金繰りがタイトになれば、国の助成制度があろうとなかろうと、まずは、資金繰りを安定させる方策を講じなければならないのは当然のことであり、シビアな言い方をすれば、自業自得そのものであるはずなのに、これを経営革新の名のもとに、手厚く保護しようとするところに、そもそも大きな問題が隠されているように思われる。
 中小企業が国を支えているという国の構造を考えると、やむに止まれぬ事情があるため、こうした企業を突き放せば、雇用の問題にも波及し、経済成長の妨げになるという大義名分のため、事業再生と経営革新を区別することなく助成措置を講じている。もっとも、事業再生も経営革新が不可欠であるという意味では、根本的には同じことなのかもしれない。
 ただし、経営革新の認定を受けてスタートした企業が、計画から1年足らずでとん挫しているという現状を見ると、やはり、どこかが間違っているのではと疑ってみるべきである。これらは明らかに別次元のものであり、資金繰り改善のための苦肉の策として行う経営革新では、病弱な打者に起死回生のホームランを期待するようなもので期待はできない。