経営革新とは

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 経営革新という言葉は、オーストリアの経済学者であり、「創造的破壊」で有名なヨーゼフ・シュンベータが提唱した「イノベーション」を翻訳したものである。このイノベーションは、1)新しい財貨の生産、2)新しい生産方法の導入、3)新しい販売先の開拓、4)新しい仕入れ先の獲得、5)新しい組織の実現(独占の形成やその打破)の5類型からなっている。
 さらに、この実行者のことをアントレプレナーと呼び、マンネリ化しつつある経営に活を入れようとしたのである。ここで、イノベーション=経営革新と定義するとすれば、起業するものは、この5つの類型に当てはまらなければ、投下した資本を回収ことができないという意味からいって、創業を志した者は経営革新を行ってきたことに成るはずである。
 ということは、経営革新機能がなければ、そもそも創業に踏み切ることはできないわけであるから、売上高の低下やそれに伴う資金繰りの悪化は、経営革新を怠った結果であるとも言えそうである。しかし、現実には、経営革新という概念は、企業が革新的な意思を持って、新しい分野に踏み出そうとする積極性について特別に評価するという響きがある。
 これは明らかに勘違いであり、敢えて、経営革新を意識しなければならなくなった背景には、企業が備えているべき革新機能が、過去の成功体験によって萎えてしまったことを自覚できなくなったことによるものである。こうした状況は、つまるところ、顧客の優先事項の変化に目を向けず、自社の利益にだけ目が向いていたことにより生じたツケである。
 そうした意味では、企業が活力を失うのは自業自得ともいえるかもしれないが、経済の発展や活性化の原動力でもある企業の性質を考えると、こうした企業に何らかの刺激を与え、覚醒を促すことも必要になってくる。これが、法律を制定してまで、経営革新を応援する理由でもあるわけであるのだが、当の企業は社会的責任の遂行とはとらえていない。
 というのは、経営革新と事業再生とは全く別の概念であるにもかかわらず、資金繰りという要素の介在という切り口でみると、この両者はよく似た使われ方をしているのが現実である。つまり、必要不可欠な経営革新を怠ったため、生じてしまった現状の姿は、その程度の差(資金繰りがタイトな程度)でしか判別がつかないものになっていることである。