言い古された言葉ではあるが、やはり、経営は人である。ヒト、モノ、カネ、情報などが経営資源としてあげられるが、これらが揃っているからといって、収益が得られるビジネスモデルが必ず生まれるわけではない。特に、ヒト以外の経営資源は、どれだけ良質なものであっても、そこにヒトの意思が働いていなければ、付加価値は生まれることはない。
さらにいうならば、ヒトはどんな場合でも、どんな立場にいても、常に有能であり続けることはあり得ないわけであるから、置かれている環境を所与の条件として、そこに生じているストレスを解消しようとする強い意志があるかどうも、重要な人材力として評価されるのは当然である。つまり、問題とそれを解決するための意思能力が人材力なのである。
また、「最大の経営資源は社長である」という言われ方もあるように、確かに、経営者の理念や実行力などによって、プロヒィット・ゾーンに辿り着く可能性も違ってくることを認めざるを得ない。しかし、翻って考えてみると、社長は生まれつき社長なのか、それとも、目標に向かって歩み続けた結果、到達したのか、成行きで就任したのかは不明である。
もしも、一従業員からスタートし、実績を積み上げてきた結果トップとして認められたのであれば、社長と従業員の間に本質的な経営能力に差があると判別するのはおかしいことになる。現に、営業員が、取引先が抱えている問題解決に力を注いだ結果、取引先ばかりではなく、自社の収益力も高めるビジネスモデルを開発できたという例も多く見られる。
つまり、「経営者」と「社員」を経営者としての資質で比較するのは無意味なことで、置かれている立場によって、価値観の尺度が異なることを無視して、能力の有無を論ずるだけでは、一つの目的に向かって協働する体制を整えることはできない。経営者は、こうした立場の違いからくる意識と価値観の相違を理解しなければ人材を育てることはできない。
ヒトを、生き甲斐を感じることができる人材に育てるためには、教育、活用、処遇を適宜組み合わせた刺激が必要であり、ヒトは皆これらの刺激に耐えうる潜在力を持っている。処遇を先行させることで利益を圧迫することを恐れながら、一方では刺激策の導入を躊躇してしまう。これが、人材が育たない構造に繋がり、経営革新機能を萎えさせてしまう。
コメント