成熟化社会の就労形態(その1)

 1980年代後半まで続いてきた日本的雇用は、安定した経済成長によって支えられていた。日本的雇用の特徴の一つである年功序列や終身雇用制度は、こうした安定成長のもとで運命共同体的な独特の帰属社会をつくりあげ、会社のために一生懸命働けば、必ず報いられるという神話を信じ、定年まで働き続けることが美徳であるという観念が形成されていた。
 しかし、経済成長の伸びが止まると、雇用環境にも変化が生じ、付加価値の配分を巡って混乱が起こった。その結果によってもたらされたのが、終始雇用制を基盤としていた帰属社会の崩壊である。そして、今や雇用という概念自体が廃れつつあり、代って登場したのが契約社会という極めてドライな労働市場関係であるが、未だその混乱が治っていない。
 経済成長が低迷しているという状況下においては、労働分配率をできるだけ引き下げて目標利益を確保するという苦肉の策を講ぜざるを得ない状況に追い込まれている。こうした環境変化は、「雇う、雇われる」という帰属社会の枠組みから、「機会の提供・参画」という平等で水平的な関係になり、企業は個人のキャリア形成の機会を提供する場となった。
 これからの企業は、個人を成長させる場と位置づけなければならないが、同時に従業員も自己責任において企業に参加するという意識を持たなければならない。こうした枠組みの変化は、労働観の変化によるところも認められるが、組織との距離を一定に保ちながらも、共通の目標達成に向かって協働するという契約関係をより意識しなければならない。
 契約社会では、人材の流動化が促進されるが、国の対応を見ていると、かつてのような帰属社会願望が見え隠れしている。雇用の安定が国力の源泉であると考える立場からすれば、あながち理解できないことではないが、雇用の促進を企業に要請するだけで解決できる問題ではない。企業も個人も契約社会の到来を前提として人材の育成を考える時である。
 かつての就職活動は、「就職」といいながらも、中身は「就社」であったが、最近の就職活動は、自身のキャリア形成を意識した「就職」に変わってきている。企業にではなく、仕事そのものにコミットするという考えは、人材の流動化現象とも呼応するものであることを改めて確認し、組織と個の関係性を意識してリーダーを育成しなければならない。