動機づけを促す危機感

 経営陣と社員との間に信頼関係ができたとしても、それだけではそれまでよりも居心地のよい職場になったというだけで、具体的に何かに取り組もうとする動機が生まれるわけではない。それどころか、快適な環境を享受しようとするような行動をとることもある。そして、こうした状態が一定期間続くと、この環境を維持することだけに意識が集中する。
 例えば、公務員などの安定した職業についている人は、カメラや釣りといった趣味に没頭し、本来の仕事には現状維持程度の能力しか発揮しないようになってしまう。もちろん、こうした「訓練された無能」状態に陥ってしまうのは公務員に限ったことではない。公務員が安定した職業であるだけに、一般市民から見るとひと際目立つだけなのかもしれない。
 こうした視座から社内を眺めると、どこの企業でも職場でもそうした居心地のよい環境にどっぷりと浸かっている社員がいることを確認できる。こうした人は、何時しか自分の保身のために盤石な理論を構築し、他からの批判を撃退しようとするため、中々改革が進まないという現実がある。そうなると、せっかく構築した信頼関係があだになってしまう。
 概ねこのようなサイクルを繰り返すことで、悪しき企業文化が形成されてしまうわけであるが、これを一気に改革しようとすると、かなりの混乱が生じるため、改革しようとする意識はあるものの、中途半端なものになってしまう。しかし、だからといって、この組織体制に何時までもしがみついていたのでは、顧客からノ―を突きつけられてしまう。
 こうした負の連鎖を断ち切るためには、組織内にある種の危機感を醸成することである。その程度が問題であるとしても、身に迫る危機を回避しようとするのは当然なので、外圧により強い動機づけを誘うことは有効である。少し話は飛躍するかもしれないが、今回の東日本大震災後の若者の意識変化は、そのことを十分証明してあまりある現象である。
 危機意識の薄い社員に、どれほど危機観を持つように説得しても、現状を守ろうとする意識が勝っているので、自主的に変革する意識は生まれにくい。こうした場合は、多少刺激的な現実を肌で感じさせるしかない。例えば、同業他社に派遣して社員の活動を体験させるなどである。ただし、闇雲に危機観を煽るだけでは逆効果になってしまうこともある。