キャリアチェンジに備えた支援

 最近よく目にする現象の一つに、NPOを立ち上げたり、ボランティアに熱心な若者が増えていることがある。また、結構難しい資格取得に挑戦するすがたも見かけるようになってきた。こうした現象の背景には、就職氷河期といわれるほどの就職難も大きく影響しているのかもしれないが、せっかく就職した会社を退職することまでは説明できない。
 中には、中高年者で会社の中核を担いつつあるベテランにも、キャリアチェンジで自分の原点を見つめ直そうとチャレンジしている人もいる。しかし、こういう人たちは、概していうと、いわゆる理想主義者ではなく、極めて常識的で企業人としても立派に職務を全うできそうに思われることが多いのには驚くが、勿論、リタイヤした理由も様々である。
 ただ、こういう人たちに共通していえることは、企業戦士に徹することが出世コースに乗ることだという既成概念に同化しきれなかったという特徴が見受けられる。当然、出世コースに乗って活躍している人の中にも、ある種の矛盾や自己が求めているキャリアにはそぐわないと感じながら、置かれている現状に適応し続けている人も多いはずである。
 環境に適応することと同化することとは別のことである。信仰宗教などにどっぷりとつかり、唯我独尊の姿勢を曲げようとしないのは、正に同化している証拠であり、ある距離感を保ちながら、立場をわきまえて同じベクトルで行動しているのが適応である。この境目をはっきり認識できる人は、「環境に適応しながらも同化せず」という姿勢が保てる。
 利益獲得が最終目的化されている企業においては、どうしても内向きの評価軸でしか、人材を判断することができないから、少なくとも会社が目指しているベクトルに沿った行動を取ることを高く評価しがちになる。したがって、個人のキャリア形成に対する支援施策は、会社の経営方針に叶うことを念頭に企画されるという姿勢が一貫して貫かれている。
 環境に同化することを求める企業側の思惑と、自分の原点を大切にしたいという社員の心情とのギャップが大きいのであれば、社会関係インフラとしての人材育成システムを構築する責任を誰かが担わなければならない。ところが、すぐに辞めてしまう社員のために本格的な人材育成に取り組むのは、経費の無駄遣いであるという結論になりがちである。