切り口を明確にし、MECEに分けることができたとしても、その分析からもたらされた結果が有効な戦略を打つ出すことに繋がらなければ、全体を分けたことの意味は殆どないことになる。問題解決を目指して行う分析は、解決策を見つけ出すための有効な手立てに結びつくものであることを意識して分け方を工夫する必要がある。
一つの事象を検討するにあたって、その検討対象がどれほど重要で、それがどのような意義があるのかを客観的に捉えた上で行わなければ、全ての分析は徒労に帰してしまう。すなわち、分析をするということは、全体を別の視点から見直すということでもあるわけであるから、「全体を考えること」と「分けて考えること」は本質的に同じことである。
例えば、企業内で販売成績が芳しくないのは何故か?ということが問題になったとする。この時、問題の全体像を分けるというプロセスで考えると、まず、大きな問題として取り上げられるのは、マーケティングミックスの不適合である。確かに、製品や価格、販売チャネル、プロモーションといった要素の組み合わせの問題は無視することはできない。
しかし、全社的な視点から見れば、マーケティング戦略以前に、会社全体の経営戦略自体に問題があることだって大いにあり得るのに、製品事業部の問題であると捉えて、課題の抽出と解決策を模索する。ここで問題なのは、「販売不振は、営業員のやる気が足りないからだ」という先入観あるいは偏見、もしくは責任転嫁の構造が横たわっていることだ。
もしも、こうした組織の疲弊には切り込まず、現場レベルの問題が全体の問題であるという前提で解決策を打ち出そうとすると、堂堂めぐりをした挙句、営業員の資質とモラールの向上が必要という結論になったりする。こうした一連の流れを受け実施された社員研修の結果が、どれだけ本質的な問題解決に結びついたか検証さえされていない。
もちろん、クリティカルマスの問題もないとはいえないかもしれない。つまり、教育訓練が、「営業が営業活動で競合企業と互角以上に戦えるだけの資質を身につけるにたるものではなかった」という可能性もある。ただ、本質的に捉えなければならない全体が、経営資源の適正配分という検討対象であったことを見過ごしていた可能性も否定できない。
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