何故分析が必要なのか

 情報とはそれ自体が組織や個人の行動を決定するための拠り所となることもあるが、収集・蓄積されたデータを分析し、より有用で明確な行動指針を決定するために加工されたものであることが多い。データ→分析→情報というプロセスを経て意思決定に結びつく。すなわち、データは分析が介在することで情報という付加価値が生成される。
 ところが、「情報」や「分析」という言葉は、独り歩きしているため、情報は「事実」や「知識」とほぼ同義語として使われているし、分析は、時として根拠の乏しい推測に近い言葉として使われているという現実がある。どちらの言葉も、「情報をください」とか、「私なりに分析してみます」というように、なかば情緒的に使われることも多い。
 かつての国鉄民営化の議論や郵政民営化もそうだったように、確かに結果としては合理化が進んでいるとしても、「民営化することが正しいことだ」という根拠の乏しい分析によって物事が決定されてしまうようなことはよく起こる。企業の戦略的意思決定にしても、一つの現象を真理であるという誤った分析により、ミスリードしてしまうことがある。
 その最たるものが、売上が上がらないのは、営業員のやる気が不足強いるからであるという、極めて根拠があいまいな分析により叱責してはばからない。あるいは、売上が上がらないのは、「元々市場性がないからだ」とか「この価格では得意先が納得しない」などといった、自分サイドに都合がいい分析を振りかざして理論武装している。
 ここには、本来の意味での分析は全く存在していないのに、あまり分析に頼り過ぎて何も行動しないのは、管理者としては失格だなどと最もらしい理屈をつける面々も存在する。こうした人々は、分析を軽んじているかというとそうではなく、分析する技術が未熟なため、敢えてその真価を認めないように努めているに過ぎないように思われる。
 分析技術を身につけるには、まず、ものの見方や問題の捉え方を学ばなければならない。問題の本質を見抜くことが分析の第一歩となるので、評価軸がぶれていると、どんなに分析技術を学んでも真の分析力は身につかない。つまり、問題をどのような形や大きさで捉えるか、どのような視座から解決策を模索するのかという思考がなければならない。