株主の目線で自分を評価できる人

 営利企業は、出資を受けた株主から信託された経営者層が、株主に代わって株の価値を高める経営を遂行する形になっているが、株主からすると、四六時中経営者の経営活動に目を光らせいているわけにもしかないので、利益をもたらしたかどうかという結果で、経営手腕を測定し、引き続き運営を任せるかどうか判断するとい仕組みになっている。
 従業員は直接株主との関係はないが、受託層である株主から信託された経営者層は、株主の信託に応えるために経営活動を行うものとすると、社員を雇用し効果的に活用することは、間接的ではあるが株主の信託に応える行動の一環であるから、社員もまた、株主の信託に応えることが使命であることは疑う余地のないことである。
 しかし、社員自身は株主の信託に応えて会社の業務に従事しているという意識はあまり高くないのが普通である。それは、経営者自体が唯一の意思決定機関である株主総会を軽視し、経営者の思惑通りに会社運営をコントロールしようとする傾向にも関係している。これは、株主と経営者の求めている情報が非対称であることによると考えられている。
 このように形骸化した構造の中にあるため、社員は、株主が自分の働きぶりをどのように評価しているのだろうかということにはあまり関心がない。そのため、社員の関心は直属の上司や経営者の評価に目が行き自分をアピールしようとする。こうした構造が自分の活躍を過大に評価してしまうという弊害を生み出しているように思われる。
 特にこうした傾向が顕著に表れるのは、営業が自分を過大に評価してしまうという現象である。先日も給与制度の改定について相談を受けた際、営業社員は、自分の売上実績やこれに基づく総利益と給料の額を比べあまりにも低いと自己評価している姿が浮き彫りにされた。営業担当者が売上を実現する背景には、自分の実力以外の要素が関係している。
 会社のブランド力、スタッフや上司・同僚のバックアップなどが相乗的に作用しているという考え方ができなくなってしまっては、最早協働体制を維持することはできない。こうした考え方が社内に充満してしまった責任は経営者にあることは間違いないが、一社員としても、自分が株主であったらどうかという評価軸で判断することは必要である。