過去の成功体験にこだわらない人

 人は誰でも、自分がそれまで歩んできた人生に多少なりとも誇りをもっているものである。それが他人から見れば、うぬぼれであるように見えたとしても、そのくらい自分を褒める人の方が人間らしいように思われる。しかし、これも程度問題で、過去の成功体験にのみしがみついているという人は、時として滑稽にさえ見えることもある。
 こうしたタイプの人は、どちらかというと経営者に多いようにも思われるが、それは多分錯覚で、社員の中にもかなりいるはずである。自分の生き方に誇りが持てるということは幸せなことであり、否定的に考えて自ら命を断つような人よりは遥かに扱いやすいのだが、あまりにも客観性に欠けている場合には、社会性という観点からすると問題である。
 商売柄、経営者からの相談が圧倒的に多いが、時には従業員からの相談もある。そうした場合、相談者は当然のことながら自分の正当性を主張するが、冷静に自分の主張を見詰める姿勢に欠けていると判断せざるを得ないことがしばしばある。自分が正しいと信じているからこそ、そのことを相手に納得してもらいたいという心情は痛いほどわかる。
 こうした相談に乗る場合、相談者の主張を否定するのではなく、「相手がこういう主張をしたらどうするか」という質問を投げかけると、意地悪質問を浴びせられたと勘違いし、しまいには、「あなたは一体どちらの見方なのだ」と怒り出すこともある。というより、大抵の場合、こうした展開になるといった方が正しいかもしれない。
 相談を受ける私としては、「相手の主張」をどのようにしてブロックするか、あるいは交わす方法を模索する意味で、一見意地悪に聞こえるかもしれない質問をしている積りなのだが、相談者にしてみれば、自分の主張を聞き入れてくれることを期待していたのに、裏切られたという気持ちになるのかも知れないが、それでは勝負にならない。
 こうしたタイプの人は、過去の経験を元に自分のサクセスストーリーを描いているという特徴がある。つまり、かつて自分やその周りで起きた出来事の終末を一つの到達点として位置づけている。時にはテレビドラマの結末をもちだす人さえいるが、これらはいずれも偏見で、これを取り除かなければ相手を説得することなど到底できない。