本当の仲間意識を貫ける人

 職場の同僚がミスをした時、懸命にかばう人もいれば、必要以上に叱責する人もいる。どちらが正しい対応なのかは一概には言えないが、チームワークという観点から考えた時、日本的な考え方からすると、少し焦点がずれているように感じることがある。日本における「チームワーク」は、個を抑え、スタンドプレーをしないように振舞うことである。
 つまり、自立した個ではなく、組織に埋没した個であることが求められているような気がする。しかし、チームとはある共通の組織目標をもっているはずなので、仲間とうまくやるというのは、目標達成のために協働するということを意味しているので、傷をなめ合うような仲間意識は、個人の能力発揮の機会を奪う虞もあることを見過ごすことになる。
 先日、ある企業で、勤務成績不良の従業員を降格させることにしたが、チームリーダーの猛烈な反対で取りやめになったという事件があった。この時のチームリーダーの意見は、仕事を軸にしたものではなく、ただ単に仲間を切り捨てることを心良しとしない、極めて浪花節的な弁明だったのが気になったのだが、何故かトップもこれを受け入れた。
 上司が部下をかばうことはチームワークを良好に保つためには必要なことであるから、この行為自体を批判するのはナンセンスだが、チームメンバーが全員同じ方向を向き、ゴールに向かって協働している時、一部のものがイレギュラーな行動を取るようであれば、組織の目標達成が遠のいてしまう。このことを軸にリーダーは判断しなければならない。
 仲間意識とは、同じ価値観で仕事をしている限り芽生えてくるのは当然であるが、情に流されてチームのあるべき姿を見失うようなことがあれば、リーダーとして失格である。チームワークとは、お互いに自立した個人を尊重した上に成り立つものであるから、その場面ごとに担うべき役割も変わることを認め合うことが基本原則である。
 日本人は、古来「おくゆかしい」とか「目立ちたがりや」という言葉や「出る杭は打たれる」など、仲間を気遣う考え方があった。しかし、その考え方が、責任の所在を「なあなあ」することに繋がっている。組織におけるチームワークとは、個々のメンバーが持っている力を発揮できる行動様式のことであり、仲間意識とは似て非なるものである。